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映画「夜は短し歩けよ乙女」を観て百万遍交差点に胸を衝かれる

長編アニメーション映画「夜は短し歩けよ乙女」(監督:湯浅 政明)を見て、あまりの懐かしさに動悸息切れが生じて大変だったので語ります。

 
この映画、天才が適切な題材を得たら傑作ができた!って感じで素晴らしいですよね!原作のぐにゃぐにゃした虚実乱れた語りと勢いのあるストーリー展開、爽やかな余韻が湯浅監督の絵柄や演出とベストマッチだったと思います。

しかしながら、今回の記事はほぼ自分語りになります。ので、そこんとこよろしく。

いいですね?

はい。

 

当方、原作者の森見登美彦氏とほぼ同じ時期に京都市内に住んでいて、原作の小説に出てくる地名や寺社仏閣、四季の風物などは非常になじみがあり、隅々まで楽しく読んだ覚えがある。

原作小説が出版されたのは2006年、映画が公開されたのが2017年。この10年間で、「夜は短し歩けよ乙女」の舞台として登場する場所のなかで、もっともその様相を変えたのが百万遍交差点ではないだろうか。

2017年頃から、京大の石垣に沿って並べられていたタテカン(立て看板の略、らしい)に対して規制が厳しくなり、その数はすでにずいぶん減っていた(その後2018年に強制撤去などの具体的な措置が取られるようになり、現在に至るまでタテカン設置側との攻防が続いているようですが)。

記憶が曖昧だし記録も見つけられなかったのだが、このころには京大の百万遍交差点側の入り口が拡張されて、石垣自体も減っていたのではなかったか。

タテカンの撤去は2010年代の嵐のようなインバウンド需要をにらんでの景観整備の一環だったと記憶しているが(自分はすでに京都を離れていたのであまり知らない)、百万遍周辺の地価も上がったのだろうか、店もずいぶん入れ替わった。特に目立つ交差点に面した店は、ほとんどチェーン店になった。

あの威圧感のある石垣が減ってタテカンがなくなって、目立つお店が入れ替わってしまうと、もう別の風景である。いまの百万遍に行っても、懐かしいな、とはあまり思わない。京都に行く機会があってもなんとなく足が遠のいている。

ところが。

ところが、映画「夜は短し歩けよ乙女」の中で大団円のラストシーンを彩る百万遍交差点は、どうやら2006年頃の景色のようなのである。このシーン、背景がとりわけ丁寧に描かれているような気がする。長い夜があけて明るい光が主人公たちのうえに等しく降り注ぎ、ハッピーエンドを美しい思い出として焼き付けるような、そういう丁寧さ。何度も思い返しては細部の鮮やかさを増していく、そういう思い出の景色。

残念ながら自分には百万遍交差点に特別な思い出はないのだが(生活圏だったのでよく通りかかっていた)、あの頃、あの場所が特別な思い出になった人の記憶をのぞかせてもらったような気がしている。

原作者のささやかな感傷を、天才クリエイターが驚異的な精度で掬い上げたのだろうか?そしてそれが、あの頃のあの風景を共有する自分にまで届いた、ということなのだろうか?

少なくとも現在の百万遍交差点に足を運ぶよりも、そして自分の記憶の中の百万遍交差点を辿るよりも、映画「夜は短し歩けよ乙女」で描かれた百万遍交差点が懐かしい。小説を読むだけでは、そうはならなかった。これが映像化の威力というやつか。原作から入って、映像作品のほうに心を奪われたのは初めてだよ。まあ気に入った原作の映像作品はわりと避けていた、というのもありますが。

湯浅監督は、「夜明け告げるルーのうた」を映画館でみて良かったから、これは大丈夫かな、と思ったんですよね(偉そうですみません)。

ほんとうに、誇張でなく、百万遍交差点のシーンでは心臓がぎゅっとなったのであった。

いやー、良いものを見せていただきました!