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映画「TITANE/チタン」を観て作中の女性と男性について思ったことのメモ!

いきなり本題とはぜんっぜん関係ないんですけど、原題と日本語を併記させるタイプの邦題で、間にスラッシュは入るのか、それは全角なのか半角なのか、とかめっちゃ気になるのはわたくしだけでしょうか。「TITANE/チタン」も、公式サイトのページタイトル(?)にはスラッシュないけど、それ以外ではほとんどあるのでそちらに準じています…なんか業界のルールがあるなら教えてくれや…Wikipediaだと記号はすべて半角になるのでよけいに混乱するんですよ…。コロンとかセミコロンもそういう意味で鬼門ですね。あとダッシュ記号と「~」←これとか。空白は全角なのか半角なのか!?とかね。

はい!噂の(?)「TITANE/チタン」観ました!なんかこう、2021年のカンヌ最高賞受賞のニュース以来、前評判などを聞いて相当ビビりながら観に行きましたよ。人体破損描写、苦手なんよね…。

で、後方の席でめっちゃ緊張しながら鑑賞したわけですが、思ったより大丈夫だったのと、なんかいい話だった…てなりました。良かったね。あと、”誰も観たことがないものをつくりたい”という作り手の欲望に圧倒されました。久々に、フィクションでしかあり得ない物語を摂取したという充実感があった。それは非現実的とか、リアリティがないとか、そういうネガティブな意味ではないですよ、もちろん。物語を通してしか近づけない、人間性の深淵に触れるような物語ってあるじゃないですか。それです。それを、映画という表現形式でしかできないやり方でやろうとしていて圧巻だった。カンヌもそういうところを評価したのでしょう…知らんけど…。

生々しくて美しい、独特の映像表現で描かれる、異形の者たちの贖罪と救済。破壊と再生。愛と癒し。自らの意思とは離れたところで変容していく精神と身体、それらに翻弄される運命の行方。痛みと恐怖を知ることで、他者に命を与える存在となる…。

あるいは繰り返し現れる炎のモチーフ。火を放つ者と、鎮火する者の出会い。

神々しささえ感じさせるラストシーンは、誰を救うのか。

そういうメインのテーマやらモチーフやらについても読み解きポイントはいくらでもあると思うんですけども、自分には手に余るんで有識者の皆様にお任せします、はい。で、それ以外で、自分なりに気になっているところをメモ代わりに置いておきます。というかですね、様々に埋め込まれたメタファーについては、自分の教養やら読解力が足りなさ過ぎて何も分からんのよ。うぅ…

それではこっから先、たぶんネタバレしますのでね!!!!

自己責任でよろしくね!!!

映画を観ながら、そういえば監督は女性だったな…、て最初に思ったのは、シェアハウスでの連続殺人の場面。犠牲者は女性二人、男性二人だったんですが、死に方にだいぶはっきり男女差があったよね。男性は問答無用で瞬殺。女性は、少なくともお互いのキャラクターが分かるようなやり取りがあって、しかもかなり抵抗する。その落差がけっこう新鮮だなーと思ったのです。死に際の解像度が高い、みたいな。

それで思い返すと、父親との関わりも特徴的なんですよね。最初に身体の変容を強いられる直接の原因になった…というのはさておき(さておいていいのか??)、主人公の身体の変調を診るのが母親ではなく父親なのと、実家に放火して逃亡するときに最後に顔を合わせるのも父親。母親は、台詞は少しあるけど(確か)顔も映らない。主人公にとって、生得の家族の中で精神的な繋がりがあったのは父親だけだということだろうか。それが、最後の救済につながる伏線…(なのか??)?

前半のこの辺りの描写、男性監督(だけでなく男性作家やその他クリエイター)の作品では観たことない感じだったので、フレッシュで良かったです。

そういえば、父親は主人公の所業に気付いてたんだろうか、けっこう微妙な演出だったよな。最後に目が合うシーンで確信したんだろうとは思うけど。そういうところも、娘の異変(など)に気付くのは、少なくともフィクションの中では母親である場合が多いけど、どれくらい意図的にそれを外したんだろうか、というのは気になりましたね。男性の身体を通して表現される女性性…みたいな。

で。

後半の重要な展開を担うヴァンサンのキャラクターですが。

後半で興味深いのは、消防士というマッチョイズムの巣窟みたいな場所で君臨するヴァンサンの本質が、人を癒し育てる役割だということで、それは主人公に庇護を与えるだけでなく、職業としても消火よりも救命のほうが”上手い”エピソードで表現されている。

観客としては、攻撃的だけど非常に女性らしい身体を持つセクシーな主人公が、男性社会の縮図みたいな消防署を焼き払って森へ帰る(比喩表現)のか?と思っていたら、繊細な演出でちょっとずつそういう思い込みの梯子を外されていく感じの展開で、スリリングだし物語の引っ張り方としても面白いな~、と思いました。

ヴァンサンは、ステロイド依存のマッチョなベテラン消防士という外観に反して、本人が抑圧している女性的な性質が、例えば息子に成りすましている主人公への献身(それは身の回りの世話だったり食事の用意だったりする)や、居心地よく整えられた室内に現れているんですよね。

というかヴァンサンに限らず主人公の父親も含め、この映画の中では、生物学的な性別は確固としていて(フランスだからかもしれない)、それぞれが担っている/いた社会的役割を意識的にシャッフルさせているとも言えますね。日本の創作物だと、それらがごっちゃになっていて、どちらかというと性別の境界を曖昧にしていくような表現がポジティブに受け入れられている気がしますが、本作では、性別はむしろ揺るぎない堅牢なものとされてますよね。主人公の仕事はショーガールなわけだし、結局、ヴァンサンの”息子”にはなれない、というか”息子”のままでは心が通わない。で、その確立した生物学的性別と、社会的役割を入れ替え(例えば、生物的女性が”産む”けど、”育て癒す”のは生物的男性であるところ)、しかもそれぞれの役割を全うすることで救済がなされる、というのが興味深いなと思っています。

ところで今さら気付いたけど、主人公とまともに言葉を交わすの、(女性性を体現している)父親たちと女性キャラだけなんだな…。救命の現場でも、老婆とは意味のある会話をするけど、それだけだもんな。逆に(逆に?)老婆や前半の犠牲者でさえ、女性とは言葉を交わしているのに男たちとは話をしないことを考えると、本作は隅々まで女性のことを描いた作品なんだね。肉体は主人公、精神はヴァンサン(父親)、という役割分担はあるにせよ。その分担が、幸福なものに見えないのがキツいけども。

いやどうかな、ラストは明らかに贖罪と救済のシーンだったから、やはりある種の幸福に辿り着いたと解釈して良いのだろうか。あるいは、ピエタを経て、自らの女性性を受け止めて生まれ変わったヴァンサンが聖母子となり得たのだとすると、あれは救い主の誕生なのか…うーん、分からん。個人のレベルでは肉体と精神の変容と乖離による悲劇的な苦しみのうちにあった人間たちが、遂に融合を果たして救われる、という話なのかもしれない(そうか…?)。

いま読んでる本に、たまたまだけど、幸福とは苦しみと共にあるもの、っていう話が出てきて、楽しいとか苦しいとかいう感情と幸福は別のもので、感情を優先すると幸福は得られない、みたいな議論なんですけど(理解が浅い)、それにつながってる話のような気もするな。分からんけど。

いや本当になにも分からんね。語るべきことが多すぎる。やはり言葉を尽くしても映画そのものには敵わないので’(当たり前)、ホラー寄りの暴力表現と性描写が大丈夫な人はぜひ観てね!目の覚めるような美しいシーンもたくさんあるよ!

ということで自分は力不足なので本稿はここまで!!!

では!!!!!