評判が良いのに公開館数が少ない(関西で3館!?→公開館がどんどん増えてるみたい!やったね!!)ことでおなじみ、スペインアニメ映画『ロボット・ドリームズ』を観てきたよ!の日記です。シンプルだけど滋味深いストーリーに細部まで書き込まれたカラフルで美しく楽しい絵、軽やかで寄り添うように歌う劇伴、センスのいい劇中歌、すべての完成度が高くて、台詞が無いからこそそういったひとつひとつの動き、キャラクターの仕草に感情を揺らされて大変だったね……みんな大丈夫???
近くの席に座っていた、仲良さそうな中年男性二人組(カップルかも)がラスト近くの屋上のシーンあたりからボロボロ泣いていて、わ、分かるよ…て思いながらもらい泣きで涙ぐんでいたら、ラストカット直後のエンドロール入った瞬間にぶわって泣いてしまった。そ、そこで終わるのか~~……!!!
人生における出会いの不思議、不可避の運命、可能性の拡がり、代替不可能性とそれゆえに愛おしいめぐる季節と生命の連なり。同じ夏は二度と来ないけど、でもまたあの夏の歌を君と踊ろう……!!!!
80年代NYの街並みが、監督自身の思い入れと相まって優しいノスタルジアに彩られ、キャラクターたちがこの街で出会ったもの全てがどうしようもなく愛おしい。いつか別の場所で別の生活を送るとしても。
人生の中で、こんな風に大切なものに出会ったことのある人みんなの宝物になるような映画だと思うけど、それと同時に、最後に押し寄せる言葉にならない感情を、この映画を観て心動かされた人たちと共有できることこそが、監督を中心とした製作者からの祝福であり、作品の持つ力だよね。
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ここから先、展開のネタバレをします!!!!未見の人は引き返せ!!!!!ていうかどうにかして観て!!
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映画の冒頭でドッグが一人暮らしをしている場面、孤独だけれどある程度は満ち足りていて、他の家庭を目にすることで、心を痛めているわけではないけれど、自分にも他の可能性があるかもしれないと気付く、ていう話なのかなあと思いました。
ドッグが、ロボットが傍にいなくなったときに、それまでとは違う遊びや出会いを受け入れて、それで傷つくことがあってもまた新しい世界へ飛び込む姿に心打たれたんですよ。ロボットの代わりというわけじゃなくて、他者と交流することで世界が色づき無限に広がることを知ったのは、ロボットとの出会いがすごく良かったことの証しだから。たとえ別れの切なさがいつか訪れるとしても、その人と過ごした日々は素晴らしくて唯一無二だから、新しい出会いも怖くない、それって本当にすごいことだと思うんだよ。
…で、最後に出会いなおした四角いロボットくんの”二人目の恋人”感がすごくて謎にダメージを受けた。受けたよね???新型らしいが、ドッグへの気遣いや振る舞いがスマートで、たぶん無賃乗車をすることもなく、海へ入るのを制止されたら大人しく従って楽しく過ごし、ドッグのことを大切にしてくれる優しいロボット……君、モテるじゃろ……(下世話な発想)。ドッグもさあ、色々な交友関係を経た後だから、コミュニケーションがスムーズなんだよね。成長著しくて眩しいっ!こんな風に、試行錯誤しながらでも互いに思いやりを持って優しい誰かと一緒に人生をやっていけたらいいのに、オレたちはさあ…。みたいなダメージを。を。
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あと、原作も読んだのでその話をば。
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あの~、ロボットが砂浜に取り残されてから、何回か空想の世界でドッグに会いに行くじゃないですか。会えないんだけど。あれ、空想って分かった瞬間のクリティカルヒット感、すごかったですよね???最初の空想のとき(海から来たウサギとエンカウントしたときのやつね)あまりの絶望で声出た。
原作だと、コマの枠線で「この場面は現実じゃない」って分かるようになってるけどアニメはそこを(たぶん)わざと曖昧にしていて、でもロボットの脚が片方なくなった後だけはそれで分かるようになってて、い、いじわる…と思いました。脚がなくなるのは原作準拠だけどさ。それで、でも確かに、都合の良い夢を現実と区別するのは醒めた時の寂寥感だけだよな、とも思うのですよ。それが夢を叶える原動力になったりするけど、そうだとしても、叶わなかった未来から見ればただの儚い夢なんだよ……うわーん!!
で、最後にもう一回、ドッグを追いかけていく空想があるじゃないですか。あれで、二人はようやく出会えて、でもそれぞれ今の人生を共に歩んでいるラスカルと四角いロボットくんの反応があって、これも空想って分かった時の強烈な寂しさと一抹の安堵、あれは本当に大人の感情を揺さぶってくるよな!!!しぬ!!!ちなみこの最後の空想シーンは原作には無い。っカーッ!!!
原作よりも、ラスカルや四角いロボットくんの性格が細やかに描写され、新しい生活の楽しさや得難さも丁寧に積み上げられたあとだからこそのこのパンチ力よ。不本意な別れの日からもっと長い時間が経って、互いの人生の軌跡がもっと離れた後だったら、穏やかに再開して笑顔で握手とハグをしてさよならできたのにね……。
ラストシーンをかみしめながら、もし自分が今よりも若い頃、10代やハタチそこそこのときにこの映画を観たら、ドッグやロボットの選択が理解できなかったかもしれないな、としみじみしました。生きている限り季節はめぐって、同じ夏は来ないけど、夏は必ずまた来るしそれを楽しんでも良い、ということをうまく呑み込めなかっただろうな、という気がするのです。あぁ、お互い大人になったねえ!!あの頃のみんな!!!
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ラスカルがロボットの部品を集めて組み立てる場面、作業台に並べられたロボットが、『天空の城ラピュタ』のロボット兵の保管庫の姿そのもので、急にどうした…?と思っていたら、二人がテレビで一緒に観るビデオが、映画では『オズの魔法使い』なんだけど、原作コミックでは『ラピュタ』だったんでした。なるほど~。『ラピュタ』への目配せは原作リスペクトだったんだね。
『オズの魔法使い』もロボットが出てくるし…とか考えていたんですが、そもそも、『天空の城ラピュタ』がオズの魔法使いモチーフだな!?ということに思い至りました。ちがったらごめん、駿。だってさ、「エメラルドの都」はかつて栄華を誇ったラピュタの国そのものじゃんね。家から空へ攫われた少女が、道中で得た仲間と一緒になんでも願いの叶う場所を目指し、魂の無いロボットは王を失った国で安寧(と魂のようなもの)を得て、少女はラピュタの力を借りずに家へ帰る、ていう要素、オズの魔法使いと一緒!!
閑話休題。
映画のほうで、ロボットが出会う小鳥の親子や空想の中で一緒に踊るお花たち、原作のほうが『ラピュタ』オマージュていうのが分かりやすかったですね。ドッグだけが友だちだったロボットの世界が、鮮やかに広がっていくのが嬉しくもあり寂しくもあり、でもドッグと別れてから初めての友だちが小鳥っていうのが本当にすごい。偶然の出会いの喜びと、互いに分かち合い助け合える嬉しさと、旅立ちの別れの切なさと誇らしさ、ロボットがあのとき必要としていたものが全部あった。
でもさあ~~~、ドッグと違ってロボットは出会いを選べないんだよな~~~~それを思い返すたびに身体の奥の方がぎゅってなる。もちろんドッグだって、主体的に行動した先で上手くいかないことがたくさんあるんだけど……。翻ってこの映画を観ている我々は、果たしてどっちなんだろうね、ていうね。この”身動きがとれない””選べない”感じがクィアロマンスとしての読み解きを促すのかもしれないな。
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ところでわたしはムビチケを買っていて、前売り特典のポストカード5枚セットを鑑賞後にじっくり眺めて情緒が大いに乱れた。絵柄面の思い出の風景も素敵ですが、住所とか書く白紙の面にシルエットで二人の姿が小さく印刷されてて、それが5枚一組で前半のストーリーになってるのよ。凝ってる!!そして泣く!!配給の皆さんが作品をすごく大切にしながら準備されてきたのが伝わって、なんか胸がいっぱいになってしまった。ポストカード持ってる人はぜひ白紙の面を眺めて思い出し泣きしてください。約束だよ!
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ということで、上映館が増えてみんなが観てくれそうなタイミングでこの記事をアップできてよかったです!大人のみんなは観てよね!!!
では!!!!