窓を開ける

今のところ映画の話をしています

最近観た映画がなんだか多国籍だったので覚書など

本稿では、

『ガール・ピクチャー』
ジョージア、白い橋のカフェで逢いましょう』
『未来は裏切りの彼方に』
『聖地には蜘蛛が巣を張る』

の話をします!!!観た順だよ!!

映画を集中的に観始めたばかりの頃は、ハリウッド映画中心に分かりやすいエンタメを選んで観ていたのですが、だんだんそればかりでは物足りなくなり…っていうのと、さすがに映画鑑賞基礎力(?)がついてきて、色んなテイストの作品を楽しめるようになってきたので、最近はポスターとか映画館で観た予告が気になったら前評判とかあまり気にせず観るようにしています。というか、公開規模の小さい作品は、ぼんやりツイッターを眺めていても感想が流れて来ないからね…直観を信じろ!みたいな。

で、ちょっと立て続けに非英語圏の映画を観たのでメモを兼ねて感想を残しておこうと思います!

ネタバレはしないつもり!!!

『ガール・ピクチャー』

フィンランド発!のティーンエイジャー女子3人を中心にした青春映画!

いやさすがにフィンランド、とにかく高校生たちがめちゃくちゃしっかりしている…。まあスポーツの授業が主義に合わなくてサボタージュしたのはさすがに怒られてましたが、それでもその主義主張自体が黙殺されるわけじゃないからね。服装もそれぞれが自分のキャラクターをちゃんと主張していて、恋愛も性愛も、自分の言葉で考えていて、すごいなあ…って眩しくなりましたね。でも、家族関係が希薄なことで孤独を抱えていたり、みんなと同じような恋愛ができなくて悩んだり、才能あるスポーツ選手が進路のことで葛藤したり、っていうのは本邦の少年少女たちと同じだね、とも思いました。

斜に構えたような態度だった女子が、かわいい恋人ができたとたんに心身が安定して、学校生活になんとなく積極的になるところとか、なんか愛おしくて抱き締めてあげたい気持ちになったわね。ラストの3人の笑顔で胸がいっぱいになりました。

社会の中で軽んじられがちな(それは日本もそうだよね)女の子たちが、誰にもジャッジされることなく、自分自身の声を持つこと。不安と焦燥の中にあっても、友達と一緒にいられて、大胆で勇気があること。自分を大切にすること。そういう女の子たちをエンパワメントする作品として、広く観られて欲しいなと思います。

↓とっても良かった監督のインタビュー

不完全だから人生は面白い。北欧発、Z世代の青春ムービー『ガール・ピクチャー』の監督アッリ・ハーパサロにインタビュー | 【GINZA】東京発信の最新ファッション&カルチャー情報 | INTERVIEW

こちらを読むと、本作の女の子たちは監督たちが「こうあって欲しい」という理想を込めたキャラクターや脚本のようだけど、でもこの映画の女の子たちの姿が”射程圏にある”っていうだけでも、さすがだなあ、っていう気がしますね。よう知らんけど。

 

ジョージア、白い橋のカフェで逢いましょう』

ジョージア発!(邦題に国名を入れるセンスは謎だけど、分かりやすいのはそれはそう)

ほんの少し言葉を交わした若い男女が恋に落ち、”白い橋のカフェ”で会う約束をするが…というすれ違い系ロマンスなんですが、二人とも、焦らず待ち続けるだけなのでそこにドラマティックな展開が無いのがなんかすごく新鮮だった。観てる側はなんとも歯がゆいのですが。

本作の舞台はジョージア西部の古都クタイシで、煌めく陽光の下、滔々と流れるリオニ川の水がぶつかり合う音を背景に、人々の何気ない日常の出来事をスケッチブックに写し取っていくような、この街そのものが主人公とも言えそうな映画でしたね。ジョージア第二の都市でありながら都会化していない風情が人気の街だそうですが(もちろん遺跡とかもある)、監督自身がクタイシのそういう暮らしに魅力を感じて、この映画ができたんだろうなと思いました。

ところで、オープニングクレジットから登場する(当たり前)グルジア文字がかわいいのなんのって(グルジア語キー配列 - Wikipedia)。一部の言語マニアの間では有名な文字だそうですが、こんなの心を奪われてしまうのも分かるよ、ちょっとこう、アラビア文字みたいな装飾的な文字だよね。活用や変化が多くて習得は大変らしいが。

それはともかく、恋人たちを襲った忌まわしい呪いも、それが解けるときの奇跡も、東欧世界の歴史的な奥行と物語の伝統が融合した夢のような瞬間だったんですけど、それよりなにより、途中ででてくるおとぎ話みたいなケーキ屋さんがめちゃくちゃマジカルだったんだけど、あれは一体なんなのだ。ジョージアは魔法の国なの??あのケーキ屋さんは実在するんですか???

↓と思ったら監督もファンタジックだと認めていた。ですよねえ~~!

映画『ジョージア、白い橋のカフェで逢いましょう』監督にインタビュー。東欧の古都を歩いて着想した現代のおとぎ話 | 【GINZA】東京発信の最新ファッション&カルチャー情報 | INTERVIEW

ノンフィクションの紀行番組みたいな作風なのに、ところどころでそういう煌めくようなフィクションを入れ込んでくるから、惑わされる…!それが本作の魅力のひとつでもありますね。ジョージア、行ってみたいねえ~~!

 

『未来は裏切りの彼方に』

スロバキア発!20世紀にスロバキアが辿った苦難の歴史、大国に翻弄される小国の苛烈な運命を凝縮したような銃後の女たちのサスペンス!

ヨーロッパの近現代史に不案内すぎて、まず舞台となったスロバキア共和国 (1939年-1945年) 第二次世界大戦中にどういう立場だったのかを呑み込むのが大変だったね…徴兵された兵士たちが戦う相手、村にある大砲工場の客先、それぞれに対して村人や経営者が抱く複雑な感情、レジスタンスの暗闘、複雑極まる情勢の中で生き延びるための、命がけの騙し合い。東アジア史で言うと、情勢の複雑さは同時期の満洲とかに近いかもしれん。どっちがどうという訳ではなく、さらっと歴史的経緯を追っても状況がぜんぜん理解できない、という意味で。

大砲工場のおかげで多少は潤っている田舎町、男たちが戦場に出て、女たちを雇用する工場長は専制君主のように振る舞う。そこへ一人の脱走兵が帰還して巻き起こる愛憎劇、激動する社会情勢に翻弄される個人の運命。そして迫る決断のとき。

戦場に出ない/出られない女たちにとって、いつでも起こり得る理不尽な悲劇として普遍性がありつつも、そこにスロバキアという小国の歴史を重ねずにはおれない切実さが真に迫って、ちょっと他にはない雰囲気の作品でした。ラストのカタルシスもすごいです。

スロバキアの若手監督がこの題材をあえて英語で撮ったのは、脚本家が北アイルランド出身だから元になった舞台の脚本が英語だった、というのもあるだろうけど(推測です)、物語の普遍性を強調すると同時にマーケットの大きさを考慮してのことかな、と思いました。

 

『聖地には蜘蛛が巣を張る』

デンマーク発!ただしイランの話なので全編ペルシア語です!

ある社会的状況(社会通念や規範意識、政治状況)が、ある種の暴力を容認する(推奨する)かのようなメッセージを発してしまい、メッセージを受け取った人間がその暴力を実行してしまう、っていう話なんですけど、なんか今の日本の状況をクリアに突き付けられてキツかったですね。生活保護受給者へのバッシングとか、貧困女性サポート事業の妨害とか、難民への非人道的な扱いとか、それらを実名・顔出しで容認するのは、本作で描かれている暴力と全く同じ振る舞いなわけで。男女で構造的な問題の認識にすごい差があるところとかも、大袈裟には描写されないけど演出が丁寧で上手いので余計に厳しさがある。

メインの連続殺人犯のキャラクター、よき家庭人であり敬虔なムスリムであるという自認自体が凶行の理由になる、ていうのがどうしようもなくてすごかったんですけど、警察署長?とかも、自他ともに認める良識人(女の仕事にさえ協力してやっているという)で、でも女性の立場から見える姿は醜悪で暴力的、ていうのとか、嫌さの解像度が高くてちょっとトラウマになりそうなレベルでした。

これは自分の観測範囲だけの話なんですけども、それなりの数の映画を観ている人(一般人)の感想が、男女で割とはっきり分かれていたのが印象的で、それがむしろ監督の狙いなのかな、と思ったり。男性は、犯罪映画なのに演出が物足りなくて退屈だった、ていう微妙な評価なのに対して女性は、めちゃくちゃ嫌な犯罪の嫌さが丁寧に描かれているので高評価、っていう感じです。それぞれ数人ずつの観測結果なんですけど、もうこの差異自体が、作中の男性/女性ジャーナリストの事件に対する姿勢の違いそのものなんですよね。この、現実の分断を可視化するところまで監督の製作意図だとしたら(たぶんそうなんだけど)、信頼のおける辛辣さだな、とは思います。

はい、ということで多国籍で良かったな~という感想でした!配給会社のご担当者様に特大の感謝を捧げます。世界の複雑さに対する理解がまた少し深まりました。

こういう映画たち、映画館で見逃すと次にいつどこで観れるか分からないんですよね。なので一期一会の機会に感謝しつつまた出会いを求めていこうと思います!

みなさまにも良き出会いがありますように!

では!!!