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映画「Vフォー・ヴェンデッタ」を観て革命の狼煙を上げたくなる

噂だけは耳にしていた「Vフォー・ヴェンデッタ」、ようやく観ました!お、おもしれえ~~~!!!

ゴシック趣味に彩られたビジュアル、マザーグースをはじめとする文学作品の自在な引用、衒学的な言葉遊び、”物語が現実を変える”という命題をロマンティックな”物語”の中でやってみせる入れ子構造、生々しい”革命”への熱い期待とクラシックな芸術への執着。

いや~~何もかもが予想以上でしたね!!ということで、観ながら考えたことをネタバレ込みでわーわー語るので、観てない人は気を付けてよね!ていうか、ここ読んでる暇があったら本編を観て!!!!(←言い草)

第三次世界大戦を経て全体主義国家となったイングランドを舞台にした革命の話をウォシャウスキー姉妹が手掛けているということで、どんな??と思っていましたがめちゃくちゃかっこよかったですね~!!コミック原作らしい外連味と仮面の反体制ヒーローの組み合わせが、なんか歌舞伎みたいだなと思いました!てかマジで歌舞伎に向いてるのでは!?主役のVにずば抜けた身体表現力が必要とされる(顔が見えないから)点は、めちゃくちゃ歌舞伎役者に向いてそう。Vの決め台詞や自己紹介をどういうふうに”翻訳”するのか楽しみだし、過去編を幕間でやるとして、ラストシーンも舞台映えしそう。どうですかね??

閑話休題

で、革命の物語なのでどうにかして革命を成功させなければならないのですが、抑圧的な政治体制を覆す、大衆による革命を成し遂げるために必要なものは何か?ということなんですけども。それは不在の人間が語る物語なのだ、ということをこの映画は示している…のではないか。

本作、厳しく情報統制される全体主義国家を舞台にしたレジスタンスの物語なので、誰が真実を語っているのか、何が事実なのか、全てが曖昧なまま(それ自体が抵抗の手段でもあるのですが)ヒロインは状況に巻き込まれていきます。でも、人間が革命を成すためには、”事実”が必要なわけではない(不要とまでは言わないが、少なくとも十分条件ではない)。人間が、行動のフェーズを変えるためには、人間性の核心に触れるような大きな物語が必要である、という命題が真であることを証明するための物語が、本作なのであろうと思います。

本作で語られる”革命を促す物語”は非常に重層的な構造をしていて、”V”自身が語る"V"の誕生と個人的な復讐のレイヤー、過去の失敗した革命(ガイ・フォークス・ナイト)のレイヤー、本作そのものであるイヴィーの物語のレイヤー、それらをもとに大衆が作り上げ、すでに主役が失われた物語のレイヤー、全てが揃って初めて革命のトリガーとなり得る、ということなんですね。

核になるヒーローの物語は個人が追体験できるものでなければならず、それが匿名性(=仮面)を要求する。ヒーロー物語の完結と大衆の願望の成就が完全に一致したとき、それは革命となる…。

ということは、ですね。

本作の観客である我々もまた、革命の主体となり得るのですよね。というか、現実に革命が成し遂げられて初めて、本作が完成したと言えるのではないか。

そこで思い至るのは、ウォシャウスキー姉妹はずっとある種の革命を望んでいたのかなあ…、ということです。というのは、本作では同性愛への迫害がかなりフォーカスされていて、それはもちろん過去から現在まで続く、現実の同性愛者への政治的弾圧そのものの告発でもあるんだろうけど、本作の製作当時は”兄弟”だった二人のことを考えると、マトリックスから続く革命の物語は、彼らの個人的な来歴と不可分なのであろうと(当たり前っちゃ当たり前)。そしてマトリックスより本作のほうが素直で、現実を変えようというストレートな意志を感じる(気がする)。だから現実世界で革命が成就することが、本作の真の完成を意味するのでは、と推測するのです。

実際に、Vが被り続けるガイ・フォークス・マスクが21世紀の反体制的抵抗運動の象徴となったことは、ウォシャウスキー姉妹の企図がある程度成功したということなのではないでしょうか!!本作は、現実を変え得るだけの力を持つ物語になれた、非常に幸福な作品であると思います。

革命の中心は空洞でなければならず、そのために物語を背負った個人は革命が成就した瞬間に退場しなければならない。そのことを、エンタメの枠でこれほど美しく描いたからこそ、このような作品になり得たのでしょう。Vが作中で語る美しい女性の愛と悲劇の物語のように、美しいものはそれだけで人を惹きつけるから…。

いやあの、文学作品の引用やオマージュ(シェイクスピアマザーグース巌窟王オペラ座の怪人、あと分からないのがたくさん)、クラシックな芸術文化への偏愛、Vで始まる単語を多用するなどの凝った言葉遊び、オペラ座の怪人との類似と差異、ヒューゴ・ウィーヴィングの熱演など語るべきことは山ほどあるんですが当方の力不足により本稿はここまで!!!すまんな!!!

あと英語Wikipediaを読んでてみつけたんですが、中国のテレビでノーカット放映されて視聴者がびっくりしたというのもいい話だなーと思いました。はい。

しかしこういうテーマのフィクションに触れるたびに思うのですが、「1984年」の影響力はすごいな。世情が不穏になるたびに本が売れるらしいが、なるほどな…と思いつつも、あれを乗り越えて革命を成そうとする後進のクリエイターたちに心寄せてしまうよね。

ということで!!

みんなも物語を背負って革命の狼煙を上げよう!!!!

では!!