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映画「ブラック・フォン」に脚色賞を贈呈したい

イーサン・ホーク、まじで怖えよ!!!!!なんだあいつ!!!

 

はい!「ブラック・フォン」観ました?!?!!

原作の「黒電話」自体は読んだことなかったですけど、作者はジョー・ヒルだし監督が惚れ込んだという物語自体の出来栄えはぜんぜん心配してなくて、全体的にどういう演出にするのかな?というのと、劇中ではほとんど素顔を晒さないというイーサン・ホークを楽しみに、しかしあの怖すぎるメインビジュアルにビビりながら観に行ったわけですが!!!

いや~~良かったですねえ~~~!!

ノスタルジックかつスタイリッシュな映像、ヤバい存在感のイーサン・ホーク、子供たちの、未来を志向する絆と眩い生命力!!良質なジュブナイル・ホラーでした!PG12だけど!!

一般的に評価の高いホラー映画で、子供が主人公だったり重要な展開を担うことが多いのは、腕力も地位も財産も持たない子供たちが、圧倒的な理不尽に直面しながら日々を生き延びている現実、それ自体がホラー映画が描きたいテーマに直結しているからなんだろうなと思ったりしています。

本作の主人公も少年で、イーサン・ホーク演じる、子供ばかりを狙う人攫いと対決するんですが、この作品で特徴的なのは、主人公たちにとっての現実的な脅威は人攫い(とその後に待ち受けるであろう殺害)であって、超常現象そのものではないんですよね。普通の(普通の?)サスペンス映画に出てきそうな、閑静な住宅街で少年だけを狙う狡猾でサディスティックなシリアルキラーが、少年たちの憎むべき敵なのです。

もちろんホラー映画なので超自然的な現象はあって、本作ではそれは主にふたつ。

※こっから先、ネタバレするかもよ!!!よろしくね!!

※まあネタバレが面白さを致命的に損なうような映画ではないが……

ひとつは、主人公の妹が持つ過去知(遠隔知?)の能力。実際にどこかで起きて、本人は知るはずもない出来事を夢に見ることができる。ただし制御はできないっぽい。

もうひとつは、主人公が監禁された地下室に設置された黒電話で、死者(人攫いの犠牲者)と話ができること。こちらも、電話を”かける”ことはできなくて、とつぜん鳴り響く呼び出し音を待つのみ。

で、このふたつの制御困難な超常現象がなぜ発生するかというと、主人公を生き延びさせ、正義を実行するためなんですよね。子供だけをターゲットとする誘拐犯という、暴力的に邪悪なものに抵抗するためのオカルト、とでもいうか。子供は大人たちに比べて圧倒的に非力で、対抗するどころか逃げ延びる手段さえ持たない。信頼できる大人がいつもいるはずもない(いつでも大人を頼れたら、そもそも誘拐事件が起きないし…)。そういう閉塞を打破し、未来を手にする手段としての、子供たちの時空を超えた連帯を象徴するのが、「黒電話」なのです。

この「黒電話」で言葉を交わす子供たちも、お互いが生前から友達だったとかそういうわけでもないのがいいんですよね。自分が不条理な暴力に屈し、未来を奪われた悔しさを、次の少年に託す、それが誰であれ、という構図にグッとくるわけです。

過去知の能力を持つ妹のキャラクター造形もめちゃくちゃ良くて、兄との強い絆、強靭な意志と行動力を持ってして、地下室の”外”の物語を牽引します。彼女が、それを疎まれてさえいる能力を兄を助けるためにどうにか使いこなそうとする、その精神的なタフさに心を動かされるのです。

ホラー映画ではあるんだけど、子供たちが持ち得る限りの武器、魔法の道具を使って圧倒的な暴力と闘うという冒険ファンタジー的な物語なんですよね。めっっっちゃ怖いけど。

あと、そういうストーリーの面白さとは別に、イーサン・ホークな!!こわ!!!

メインビジュアルになっているあの不気味な仮面、ほとんどの登場シーンであれを被っているので表情は見えないんですが、体格がいいから地下室に存在するだけでものすごい威圧感があるし、ちょっとした仕草の一つひとつが、その場を支配する力を誇示していて目が離せない。この男は、少し調子がおかしいだけの普通の人なのか…?と思わせつつ、次の瞬間には狂気に振り切るその瞬発力よ。怖いよ。

さらに、仮面の構造にちょっと工夫があって、表情の一部が見えたり、あるいは目元のクローズアップが差し込まれることで、この仮面の下にあの繊細で優しい端正な顔立ちがある、ということを観客は意識させられるんですが、そのせいで余計に怖いのよ!!あの顔で、どんな表情でその所業を!?!?っていうね。所業っていっても、具体的な暴力シーンはほぼ無いですけどね。立ち尽くして、涙を浮かべて少年を見つめるだけで、無限の謎と恐怖を喚起する、仮面の男。監督、イーサン・ホークとホラー映画への理解が深いね!さすがじゃ。ありがとうありがとう。

 

で。

ここからは原作の話も混ざるんですが。

原作の「黒電話」が収録された短編集はしばらく絶版状態だったのですが、映画化に合わせて出版社を変えて再出版されました!ありがとう!リンク貼っとくね!

ブラック・フォン (ハーパーBOOKS) | ジョー ヒル, 白石 朗, 安野 玲, 玉木 亨, 大森 望 |本 | 通販 | Amazon

(出版社のページにまだ出てなかったので…がんばって)

 

原作は本当に短い小説なのですぐ読めます。ジョー・ヒルの小説は、(自分が読んだ範囲では)登場人物の心情をドラマティックに映す情景描写が素晴らしくて、印象的なシーンはほとんど映画のように、鮮やかに脳裏に浮かぶんですが、本作でのそれはもちろん、黒い風船が舞う青空、薄暗い湿った地下室に不釣り合いな黒電話と突然の呼び出し音ですね。本作のテーマそのもの。閉塞した現在に奪われそうになる未来、それを打破する外からのメッセージ。

ただ、原作では上記のワンシチュエーションに絞って描かれていた脱出劇を、映画でかなり脚色していて、それがすごく良かったです。ジョー・ヒル自身が製作に加わっているので、原作者の意向もそれなりに反映されてるのかもしれん。

まず時代背景と舞台設定なんですけど。

原作では明示されていないのを、映画では明確に1978年のコロラド、労働者階級の住む住宅街としています。劇中では特に語られないのですが、70年代後半のアメリカは、ベトナム戦争の帰還兵が社会復帰し、またウォーターゲート事件の影響もあり社会全体が暗い憂鬱に沈んでいたとされる時代です。そういう大人たちの鬱屈が生活のあちこちに影を落としているような日常。

大人たちの中では、主人公兄妹の父親が印象的ですね。精神的に不安定で衝動的、子供たちへの愛着はあるけどそれが適切に表現できず、そのこと自体にも苦しんでいるような人物像は、原作からはかなり脚色されています。配偶者との死別?か、もしかするとベトナム帰りで、PTSDを患っているのかなとも思った。そういう”保護者”不在の不安全な家庭環境で、兄妹が互いに支え合って生き延びなければならない状況が、物語のテーマそのものだなあと。原作にも機能不全家庭っぽい記述は少しあるんですが、映画のほうで、時代背景も含めてここまで明確に描いたのは、かなり踏み込んだな、という印象です。

あるいは、主人公まわりの交友関係について。

野球チームのピッチャーとして活躍する主人公は、ライバルチームのエースに一目置かれたりしつつ、気が弱くていじめっ子のターゲットになるけど、正義漢の喧嘩がめちゃくちゃ強い友人がいて助けられたり、妹に叱咤されながらサバイブする日々。それでも理不尽な暴力(本作では人攫い)は子供の都合とは無関係に日常を脅かし、それに立ち向かうのは、どれだけ仲間内では強くても一人では無理だし、友人だけでなく様々な良く知らない誰か(同じ暴力の犠牲者である誰か)と協力しなければならない、ということを知るのが本作のストーリーでもある。この交友関係についても、原作のテーマに沿ってはいるものの、大幅にボリュームアップしていた。大人たちの憂鬱な世界に囚われて、理不尽な外圧によって未来も奪われそうになったとき、誰とどうやって連帯できるか?という子供たちにとっての切実な問いが、描かれていたように思いました。

上手いなあと思ったのが、作中で犠牲になる少年たちの属性について。裕福ではない街に暮らす、さらに何らかの困難を抱えた彼ら。人種的マイノリティだったり、生活費を自分で稼がなければならなかったり、家庭環境が混乱していたり。そういう彼らこそ、属性の壁を越えて連帯することで、今まで出来なかったことができるようになって、行けなかったところへ行けるようになるんだよ、というメッセージが暖かかった。未来は彼らの手の中にあるはずだからね。

妹のキャラクターもけっこう原作からの脚色があって。

原作では、兄妹(原作だと姉ですが)の強い絆を示唆するに留まる過去知(遠隔知)の能力ですが、映画では、先に書いた通り、かなり能動的に兄を助けようとするんですよね。彼女が理不尽な暴力に屈しない闘争心を持っていることは、映画の序盤のエピソードで明確に描かれるんですが、兄妹の絆、妹の優しさや不屈の魂を象徴する、物語のポイントとなる印象的な良いシーンでした。

映画で追加された要素である、主人公の少年がお守りのように持っているアイテム、あれも70年代という時代における、未来を象徴するメタファーとしてすごく良かった。「未知との遭遇」とか「スターウォーズ」第一作とか、その辺に象徴される、広がりのある明るい未来。どちらもアメリカでは77年公開なので、本作の少年たちが期待を込めてイメージする未来に相応しい。もしかすると監督自身の子供時代を託してるのかもしれませんね。閉ざされた扉を打ち破る希望のアイテムが、主人公の少年自身の未来を切り拓く強い意志を象徴しているようでした。

仮面も、原作からの改変ですが良かったですね。素顔の人攫いよりも、暴力の理不尽さとか、子供たちの感じる無力感とかを増幅するのに効果的だった。あとあのちょっとしたギミックで普通に驚かされたし、ちゃんとイーサン・ホークの演技も堪能できるので良いです。荒唐無稽にならない絶妙なレベルの造形だったですね、やたら怖いけど。

ラストのちょっとしたミスリードもな!見事に翻弄されたぜ!(←めちゃ堪能した人)

 

まあちょっと脚本と演出に言わせてもらえば、あんなビビらせる必要あります!?とは思いますけど。幽霊の登場シーンとか、毎回めちゃくちゃビビったわ。イーサン・ホークの気配だけで十分怖いのよ、全体的に、もっと怖くなかったらもっと好きだったよ(ホラー映画観たあと毎回言うやつ)。

あと、地下室に監禁されてからの時間経過が分かりにくいのはもったいなかった。小窓からの光とかでもう少し上手く演出できてたら、緊迫感の盛り上げ方とかにバリエーションが出たかもな、と思ったので。ただまあ、ビビりすぎて見逃している可能性もゼロではない…すみません…。

もうひとつ、原作のオチになっている台詞は、仮面の男が持つ黒電話への忌避感をもうちょっと掘り下げたらもっときれいに決まったのではという気がします。ただ、バックグラウンドが全くわからない純粋に邪悪なもの、っていうのをやりたかったのはよく分かるので、これはないものねだりかも。

ここまで書いておいてなんですが、スコット・デリクソン監督がインタビューでだいたい説明してくれてたので記事を貼っておきますね…なぜかサムネが出ないが……。

https://www.crank-in.net/interview/110166/1

監督、割とな大作を手掛けたあとにこういうコンパクトなスリラー作品をつくるの、なんかいいよね。ありがと…。

というわけで!

みんなもアメリカのトラウマを目撃するために「ブラック・フォン」を観よう!

いまさら気付いたけど、このブログ、最近の記事だけ観たらホラー映画好きな人みたいになってるな、違うんですよ、ホラー映画、あらゆるレベルでメタファーが散りばめられていて、深読みし甲斐があるんですよ、そういうの好きなんで……あ、もっと怖くなかったらもっと好きです!(本稿2回目)

では!!!