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最近観た映画についてちょっとした覚書「ブレット・トレイン」「炎のデス・ポリス」「LAMB/ラム」「デュアル」

独立した記事を立てるまでもないが考えたことをメモしておきたいな…と思ったので書きます!「ブレット・トレイン」「炎のデス・ポリス」「LAMB/ラム」「デュアル」の四本立てだよ!雑多!!!

「ブレット・トレイン」

日本のプロモーションがかなり熱心で手厚かったこともあり、話題にもなりロングランを成し遂げた娯楽大作ですね!原題の”Bullett Train”は狭義では「新幹線」の意味だそうです。そのままだった!!高まった期待通りのものを想定の5倍くらいの盛り付けでお出しされて、そりゃ楽しくないわけがないんですよ。特別編成で「ゆかり号」を走らせてくれたらいいのにねえ!(乗車券のプレミア化必至だが)

あと、原作のプロットがしっかりしてるから設定や展開をかなりいじってもストーリーが何とかなってしまうのがすごいなあと思いました。ウルフとかマジで物語上は不要では?って思ったけど、ホーネットの情報を彼に流したのがホワイト・デスだとしたら成り立つので(どこにも説明がないけど)、そういうことにしといてやろう、って感じです。

でそれはいいんですけど、まあ良識ある映画ファンの方々がご指摘の通り、ステレオタイプ的な描写がすごいよね!ほとんどは意図的なものだと思うんですけどね。ただ(確か)公開後に発覚したのが、当初はアントワーン・フークア監督が撮る予定だったという話で、そうなると話は別だよねえ…、ていうね。同じ"意図的なステレオタイプ"によるキャラ造形でも、「ガンパウダー・ミルクシェイク」みたいな雰囲気になったんじゃないかなあ、そっちのが観たかったな…と思いました!フークア監督の真田広之とか観たすぎるじゃろ。

そう考えると、レディバグ以外のキャラは、メキシコ系、アジア系、英国の労働者階級(アイルランド系?)、アフリカ系、ロシア系、とアメリカ近代史で重要な役割を担いながら軽視され、抑圧されていた(いる)背景があって、もしフークア監督が撮ってたら、記号化された彼らの歴史を逆手にとって武器にするような話になってたのではないかと。ホワイト・デスの”ロシアンルーレット”とか、まさにそれなのでは!って思ったのは「炎のデス・ポリス」を観たあとのことでした…(次項に続く)。

「炎のデス・ポリス」

こちらも原題は「警察署」でそのままだよ!こっちはこっちで邦題がチャラ過ぎるんだよなあ!!!かなり真面目にサスペンスをやっていたのでいい意味で驚いたんですけど、もっとそういう感じで宣伝してくれてもいいのに…と思いました!「ブレット・トレイン」と逆なのよ、ノリが。

主役の一人である、若い警官を黒人女性にしたのが効いてて良かったですよね。演じるアレクシス・ラウダ―がめちゃフレッシュで、いろんな種類のクズ野郎が跋扈する、血と硝煙の匂いが籠った署内で一服の清涼剤のようであった。

本作、警察官を筆頭に登場人物全員が武器として銃を使うんですが(ガンマニアっぽい人もちらほら)使っている銃の種類が多彩で、かなりこだわった選択なのではないかと思いました。まあ私自身は不案内なのでまったく分かりませんが…。それぞれの銃の特性とか使い方を知っていればより楽しめると思います。ちなみに主人公のジェラルド・バトラーは、「使える銃は何でも使う」派でした。さすが主人公だね!

ところで「ブレット・トレイン」と本作との間には共通する要素が複数あるんですが、その中で最大のものは、時限付き密室バトルロワイアルというプロットそのものです。お仕事中の殺し屋が暴れまわったり、髪の長いキャラ(男)が髪を結んだり解いたりするところなど他にも共通点がありますが、ちゃんとサスペンスをやって伏線やフラグを回収してオチまでつけてるのは「炎のデス・ポリス」のほうなんですよねこれが。続けて観たせいでどうしてもこの二作を比べてしまうんですけど。個別に偏愛する要素はあるにせよ、作品全体として好きなのは後者ですね…全編で仕事が丁寧な感じがしてさ…。

で、ここで特筆したい二作品の共通点は、いくつかのシーンで印象的に使われている”ロシアンルーレット”についてです。「炎のデス・ポリス」では登場人物が”ロシアンルーレットごっこをして遊ぶシーンがあるのですが、そこで主役のアレクシス・ラウダ―が「それ”ロード・ルーレット”よね」って言ってた(と思う)んですよ。字幕で。その時は物語が錯綜し始めててついていくのに必死だったので、ふーん、て流したんですが、後になって、そういやあれは”ロシアンルーレット”じゃないの??”ロード・ルーレット”って言うの??ってなったんですね。

それで思い出したのが、そういえば”ロシアンルーレット”のルーツはロシアじゃないし、ロシア系への偏見を助長するって批判されてるのを見たことある気がするなあ~っていうので、じゃあロシア系マフィアに”ロシアンルーレット”をやらせてた「ブレット・トレイン」は、あれも”意図的なステレオタイプ”だったんかい!って(ようやく)気付いたってワケです。日本語のSNSでそこに言及してるのを見かけなかったので、一応ここに書いておきます。強運を自負するロシア系マフィアが”ロシアンルーレット”を仕掛けてのし上がっていく意味…フークア監督……。

まあ”Load Roulette”で検索してもそれっぽい内容が出てこないんで、”ロシアンルーレット”がそういう人種的偏見を象徴する言葉として英語圏で広く認知されてるのかどうか、ちょっと自信ないですけどね。もしかしてアレクシス・ラウダ―の台詞が、英語だとそういうステレオタイプを訂正するようなニュアンスがあったりしたら確信が持てるんですけど、現状、手軽に確認する手段がなくてさ。日本で配信が始まったらチェックしときますね。

というようにですね、「炎のデス・ポリス」は作り手がきちんと枠組みを作ってくれて、その中で安心してフィクションを楽しめるようになってて良かったんですよ。「ブレット・トレイン」は観てる間からすでにその辺が不安だったからな。

あと本作のいいところは、登場人物のほぼ全員が自分の仕事に真面目に取り組むところですかね。目的と手段を混同しない明晰さが快適でしたね。まあ仕事の中身も手段のアレさも中々ですが、そこはエンタメなので。なお与えられた役割を十分にこなせない中途半端野郎も出てきますが、死に様が酷くて笑ってしまいました。みんなアマチュアに冷たいな…。

「LAMB/ラム」

さてここで趣向を変えて、アイスランドからやってきた動物ホラーです!宣伝とかビジュアルデザインがめちゃくちゃ良くて、オシャレでナウなヤングたちに訴求したのであろうか、都会の映画館では初日のレイトショーがほぼ満席であった。絶対そういうタイプの映画じゃないだろ、と思っていたら、隣のアラサーは7割くらい寝ていたし、帰りのエレベータで一緒になった二十歳前後のカップルはずっと映画の悪口を言っていた。ほらー、ターゲットと違う客層に届いちゃって悪評がついたら宣伝の意味ないじゃんよー。まあそれは次項で取り上げる作品にも言えるわけですが…。

まあ難解だったよな!それはそう。欧州のキリスト教文化と一神教信仰を内面化してないとマジでまったく怖くない。アリ・アスター作品みたいに、機能不全家族への憎悪や強烈なビジュアルがあれば極東の島国の我々でも享受できるが、異教崇拝みたいな宗教的な要素だけを取り出したらそれは無理よ。

聖夜に受胎し厩で生まれ、飼葉桶に寝かせられるアダちゃんは、主人公夫婦が望んだような救い主ではなかった、てことなんだろうけど。第一使徒であるところの叔父(名前や魚釣りシーンからしてこれは間違いないと思う)に受け入れられなかったのが決定的だったな~とか思いつつ、なぜこの夫婦が選ばれたんだろう、とか、アイスランドでも山の向こうは異界で川は現世との境界なのか?とか分からないところが続出。なんもわからん。

でも夏のアイスランドの野山の風景がとにかく美しくて、ふわふわの生き物がたくさん出てきてヒーリング効果が高かったですね。短い夏を謳歌するように輝く草原の花々や、犬や猫の繊細な表情を捉えたシーンは見どころですよ。あと、現代の羊飼いのお仕事映画としても興味深く観ました。細かい作業や仕草のディテールが丁寧に、慈しむように撮られていて、上質のドキュメンタリー映画のようでもあった。

「デュアル」

さて、ラストの本作は渋い不条理SFです。……そうなのよ、プロモーションのイメージだとアクション俳優のカレン・ギランが自分の分身を相手に暴れ回る話っぽいですけど、ぜんっっっぜん違ったよね。で、自分が観た回だと観客に中年以上のおじさんおよびおじいさんがめちゃくちゃ多くて、まあ間違いなくターゲット層とずれてた。パンフレットも無いし(それは仕方ない面もあるけど)、売り方もミスっててなんか不憫だな…と思いました。作品が。観客レビューで低い評価が多いのも、期待値とのズレのせいだろと思いますね。まじで作品が可哀そう。「LAMB/ラム」は少なくともプロモーションは工夫があったしパンフレットも素敵だったけど、「デュアル」はそれも無くて本当に可哀そう。

本作、30代女性の生き方(っていうか死に方)についての話なので、たぶん「セイント・フランシス」で扱われてた問題意識をホラー解釈したら本作になる気がしますね!(そうか?)(そうだよ!)カレン・ギランって女性ファンが多そうだしさ、彼女と同世代の女の人に刺さる作品だと思うんだけど、宣伝の担当(or決定権のあるポジション)に女性がいなかったんだろうな……。

カレン・ギランがキャスティングされたのもテーマに沿った意図があって(たぶん)、自我を持った女はどうあがいても(精神的に/身体的に)殺される、っていうどうしようもない現実を戯画化したSFなので、彼女みたいに強くてタフな美しい女でもそこから逃れられないっていうのが絶望を加速させるわけよ。

監督がどうしてそういうテーマを、こういう形で扱うことにしたのか、とかカレン・ギラン自身はどういう風に考えて一人二役を演じたのか、とか、SF的な設定のディテールとか、もう少し知りたいことはたくさんあるのに、日本語の情報が全然ない。なんなのマジで。監督か主演のコメントくらい取ってこいや……売る気ないだろ。

あと作中で色々なカレン・ギランが観れて大変お得なのですが、個人的に一番の見どころはめちゃくちゃ可愛い前転です。ご本人は前転なんか息をするように何回転でもできるはずですが、主人公が運動苦手な設定なので、わざと不器用で下手な前転を披露してくれます。長い手足を持て余してる感じも含め、めっちゃかわいい。グッときた。

ところで、背景となっている街並みや郊外の雰囲気がちょっと不思議で見覚えのない感じだな、と思っていたら、ロケ地がフィンランドタンペレなんだそうですよ。へえ~。で、それも何か意図があるんかな(場所の具体的なイメージをつけたくないとか)などと考えたんですけど、もしかしてフィンランドはほとんどロックダウンしなかったからだろうか、と思い至りました。どうなんだろ。とかそういう話も聞きたいので、配給会社にはもうちょっと頑張ってもらいたかったですね。聞いてるかアルバトロス・フィルムよ。

はい!!

ということで、ちょっと言いたいことがあった映画4本まとめて感想でした!!ちなみにこの中でおススメは「炎のデス・ポリス」です!今のところ観る手段が無いけどな(2022年10月19日現在)。

では~~!!!