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映画「落下の解剖学」はオチの詰めが甘いと思う

2月も終わりですね!!!

タイトルからもお分かりと思いますが、本記事はネタバレをします!!この後すぐにします!!未見の方にはおすすめしないよ!!!

言ったからね!?!?

はい!

『落下の解剖学』ですよ。海外での賞レースを賑わせ話題になったタイミングでの日本公開ということで、非英語圏の地味めの映画にしては観客がたくさん入っていてびっくりしましたね。東京ではもっと盛り上がっているのかもしれないが……。

で、ゴールデングローブ賞脚本賞を獲得したりしているので、脚本メインのミステリーなのか、と思っていたんですけど、それにしてはオチが緩くない!?!?!っていうことを言いたいだけの本稿です。

しかし思い返せば、登場人物のアップが多かったり裁判シーンもあんまりロジカルに詰める感じの展開ではなかったので、そもそも脚本ではなく演技や演出を観るべき映画だったのかもしれない。いやでもだったら脚本賞じゃなくない!?!(混乱)

何がいちばん気にくわないかと言うと、オープンエンドなのかどうかがはっきり分かんないところです!!!どっちだよ!!!

以下、具体的に説明しますので致命的なネタバレを避けたい人は気を付けてね!

作中における最大の謎ポイントは、男性の死が「事故」「自殺」「他殺」のどれなのか、っていうところだと理解しているのですが。で、現場の近くにいた盲目(弱視?)の少年が、死の瞬間を”目撃”していたかどうか、が争点になってたんですよね。直接証拠はない、という前提で

「他殺」の間接証拠は

 1-1.事件の前日も含め、以前から身体的暴力を含む争いがあった

 1-2.事件直前に少年に聞こえた夫妻の会話は怒鳴り合いであった

 

「自殺」の間接証拠は

 2-1.男性は以前から自殺を試みていた ※アスピリンの話

 2-2.生前に自殺を示唆する言動があった

 

だよね?

1-1はUSBに残された録音、1-2は少年の事件直後の供述(ただしのちに撤回する)がそれを示す。

2-1は妻の供述(と後から思い出した少年の供述)、2-2は後から思い出した少年の供述、が根拠。

回想シーンの映像については、裁判の最初の方で、少年の想像という体裁で「他殺」と「自殺(事故)」の両方が映像化されていたので、それ自体が(作中の)真実性を担保するものではないとする。

ということは、具体的な証拠が残ってるのって1-1だけ、次点で利害関係が薄い状態(まだ自分の証言が母親の有罪を決める根拠になると理解していなかった状態)で得られた1-2の証言、ということになりませんか。

2-1および2-2を示す少年の証言は、母親が「あと何をすれば無罪になれると思う?」と問いかけた後に得られたもので、その点においても信憑性は1-2の証言と比べて劣ると考えても良いと思う。

となると、作中では「自殺」で妻は無罪エンドだったけど、真実は「他殺」ではないか、という疑いが残る(なんかラストで少年がやたら怯えてたし…なんなんあれ)。

あとこの記事で指摘があるように、2-1を示す妻と子供のふたつの証言は、ちょっと矛盾するんだよね。この矛盾が脚本の瑕疵ではないとすると2-1は事実ではなく、やっぱり真実は「他殺(または事故に近い他殺)」なのでは?と考えるのが自然でしょう。

それで、なるほど真相は「他殺」なんだねって考えたとして、でも「他殺」が真実ですよ、という観客への目配せは特に無かったし(無かったよね?)、皆さんはどっちだと思いますか?みたいな問いかけも無かったし、オープンエンドなのか、真実はひとつなのか、脚本の意図がいまいち分からんのよねえ…(なので証言の矛盾が脚本の瑕疵に見えてしまう)。

それも含めて結論を宙吊りにするエンディングなのだとしたら、いやそれ面白いか?脚本家のひとりよがりじゃない?という話よ。そしてそういう意図が明確に伝わらないのは脚本の弱点だよ。

あとオチが甘いと思った理由は他にもあって、謎を作り出したのは少年の視覚障害なのに、無罪の決め手になる証言には視覚障害がぜんぜん関係ないというのは明確にプロットの欠点だろうよ、と思ってさ。だってそのせいで、この映画の中では視覚障害は夫婦仲を険悪にして父親の死の遠因になり、さらに死の真相を覆い隠すだけの役割を負わされていて、ものすごくネガティブな位置づけになっちゃってるじゃん。単純化すれば、「子供の視覚障害のせいで家族の人生がめちゃくちゃ!」みたいな話になってるよね?それをリカバリーするのが障害を持つ子供本人、ていうのが変だし。まさか21世紀にもなって製作陣がそんな話をやりたかった訳ではないだろうから、そう読めてしまうのは明らかに作品の欠点でしょう。

オチ以外のところだと、普段の夫婦仲がどうだったかを争点にするなら、あのシッターの女性にも証言させるだろうにそれは無いんだ…とかさ。そもそも、あんな間接証拠だけで検察が有罪を狙うかなあ…とか。妻の性的指向を観客にだけ途中まで隠してたのはあんまり意味ないのでは…とか。

まあだから本作の美点は脚本じゃないと思うんだよね…脚本賞に期待しすぎかなあ??例えば主演女優賞とかだったらなんも異論はないよ、この映画のすべてを(画面に映っていないときでさえ!)支配していたサンドラ・ヒュラー、すごかったね!彼女の演技を観るために観る価値は十分にあります。

しかし同じ意地悪なフレンチミステリーだったら、『悪なき殺人』のほうがストーリー上のカタルシスはあったよな!!!意地悪なミステリーあんまり好きじゃないから別に好きなわけではないけど!!(感情の昂りにより文章が乱れています)「ああ~~~そう来たか~~~後味わる~~~」みたいなね。

意地悪っていうのは、人間の人間性みたいなものを全く信頼してない感じね。ヨーロッパのミステリーでありがちな印象です(偏見)。

ということで、『落下の解剖学』の悪口でした!面白かったけど好きではない!そういうこともある!!

では!!