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映画「ストーム」(原題:大雨)を観た思い出

本題に入る前にひとつだけ、本編の出来の良さの前には些末なことではあるけどさあ、”ストーム”も”大雨”も一般名詞だから検索性が悪すぎるんだよ~~~~!!!!邦題、なんとかならんかったか!?!?

中国のアニメーション作家である不思凡監督の最新作『ストーム』、2024年3月時点で日本語字幕版を観れた一般人はおそらく200人にも満たないであろう未だ幻のような映画なので、ちょっと書き残しておかないと自分でも「夢だったかな?」みたいになりそうでやばい。

この記事で騒いでいた不思凡監督の前作『DAHUFA 守護者と謎の豆人間』も結局、劇場で2回観たあと本編は観れてないんよね。なんか中華アニメイベント上映とかでも諸事情?とかで上映されたことが無い。つらい。ブログを書いたときはまだ配信とかソフト化とかあるかな~とか呑気なことを考えていたが、2年以上が経過した今となっては再視聴できる見込みが無さ過ぎて悲しい。

で、『ストーム』<東京アニメアワードフェスティバル2024>で上映されると聞いて(熱心なファンの方のSNSアカウントで知った、五体投地しても足りないくらいの感謝を捧げたいと思います。深謝!)、これ逃したらもう一生の間に観る機会が無いかもしれんな…と思い、はるばる東京まで出かけたわけです。

いや~~~~良かったよね~~~~~~~!!!!!!!!なんかものすごい密度の世界設定に美しく奥深い画面内でユニークかつ魅力的なキャラクター達が躍動する傑作でしたよね!?!?(誰に聞いてるんだ)

表現も、ストーリーも、すごく意欲的でドラマティックでめちゃくちゃ面白かったよね~~~………残念ながら徐々に記憶が薄れつつあるが……。

ということでうろ覚え感想祭りです、マジでうろ覚え。

まず、本作の主人公が、『DAHUFA』の大護法みたいな達観した巻き込まれタイプではなくて、やりたいことや欲しいものが明確で行動力が伴っている少年だったのは、すごくアニメーションのダイナミズムに貢献していたよね。大人たちの諦念に負けずに、当たり前で大切な願いを一瞬たりとも手放さずに真っ直ぐ突き進んで、周囲さえ動かしてゆく姿に心打たれずにいられようか(反語)。この主人公の造形に監督の覚悟みたいなものが感じられたのも良かった。

それから、自然を搾取して恩恵を受けるのは富裕層で、それによる被害(洪水とか旱魃とか)によって生活を破壊されるのは貧困層である、ていう非対称や不公平が昨今の世界的な環境問題への取り組みにおける大前提なんだけど、それをサラッと物語世界の要素(というかサブテーマ?)として取り込んでてさすがにレベルの高いクリエーターは感性がフレッシュね、と思ったことです。

人間の経済活動による自然環境の破壊、先住民と入植者、技術革新による資本の偏りの加速、公権力と民間人、表現者と搾取構造、親子、師弟、友人、死と再生、様々な位相にある対立や相互関係を、善悪で判断することなく、でも常に抑圧される側に立って表現しつくしていてすごかったね。善や正しさや美しさが常に報われるわけではなく、混沌としてそれ故にエネルギッシュでときに残酷な世界。

で、そういう相対的に巡り移ろう世界の中で、確かなものは「愛」だろ!!っていうラストも良かったです。もちろん前作でもそういうスタンスではあったけど、明確にストーリーと台詞でそれを言い切ったところに、監督のクリエイターとしての矜持を感じる。

しかもあの最高に盛り上がったところでバシッと終わるところもめちゃ好みだった。そういうドライなセンスが好きだな!!

Cパート(エンドクレジット後のラスト)は、ほんのり寂しくて、でもちゃんと希望はあって、それは崩れたバランスを少しずつ回復するような気の遠くなるような営みのほんの最初の一歩なんだけど、本編では叶わなかった願いを掬いあげる試みでもあり、そういう手触りの確かな優しさが堪らんのよ。

キャラクターデザインも素敵だったね~。デフォルメされたシルエットだけでキャラクターが特徴づけられてるのは前作からだったけど、予算が増えたからか、動くとより特徴的で魅力的でしたね。マントとか髪の毛とか、帽子とかの動きがいちいちかわいい。白いふわふわちゃんは言わずもがな。人外のみなさんも印象的だったよね、可愛いのから気持ち悪い(褒めてる)のまで、動きもデザインも多彩で独創的で良かったな……(語彙力)。キビキビと気持ちよく動くところは、常に観客の気持ちや視線の少しだけ先に行って物語の推進力となり、見せ場は丁寧にたっぷり見せてその過剰さが心地よく、映画を観ている間ずっと目が幸福だった。アニメーションを観る楽しみってこれだよなあ!て思ったよ。

ちょっとだけ内容の具体的な話。

本作のクライマックスは啓蟄の夜って最初から提示されてて、それに向かって様々な思惑を持った有象無象が小さな港の村に集まってきてみんなの運命が変わっていく、ていうセミクローズドな構成だったわけですが。脚本が上手くないとカタルシスが中途半端になるリスクもありつつ、ハマれば最高の見せ場が演出できる手法で、話がどんどん錯綜していく中盤はほんの少しだけ大丈夫か…?て持ったけど完全に杞憂だった。

だんだん日が傾いて風が強くなって、空が雲で覆われて波が高くなり、雨が降ってきて、ていう背景がクライマックスへの助走となり観客を導いてくれるので、登場人物たちの焦りや畏れや期待や緊張の高まりに同調することができて、それであのとんでもない展開が来るから解放感も相まって本当に心を動かされたね。

単純に映画として面白いし、前作からさらに技巧を洗練しつつエンタメとして進化してる…!(しかもわたしの好きな方向に)と思って本当に観れて良かった!!てなりました。

本編の話ではないけど、イベント司会の若い男性が、終映後にぺそぺそ泣きながら壇上で喋っていたのになんか感動してしまった。自分は不思凡監督の作品だから信頼して観てるけど、他の若い人とかも面白いと思うのかな…?みたいな不安はあったからさ。隣の席の若い女性も、『DAHUFA』は観てないっぽかったけどリアクションが良かったので嬉しかった。良かった~~~(誰目線)。

こっから先は、ただの愚痴なので読まなくていいよ!

上映後に解説トーク付きの回だったのでそれも聞いたんだけどさ~~~アニメーションの技術的な話とかは面白かったけど、本作が劇場で上映されるかどうかは、今日の観客のみなさんが盛り上げられるかどうかにかかってるんで、みたいなことを言ってたけどそれはないだろうよ。

例えば監督とかの製作側がさ、「頑張って配給に営業かけるから皆さんも応援をお願いします」とか言うんだったら理解できるよ、でも君ら(登壇者)違うじゃん、買い手だし盛り上げる側じゃん???なに、自分らの業界に見る目や資本力が無いことを自白してるん???だいたい鑑賞手段のない映画を一般人がどうやって盛り上げろというのか。ふざけてんのか。

ロビーに出てからも、関係者っぽいおじ(い)さんが「ジブリじゃん!」って運営側の人に言ってるのが別々に二人もいて、観る目が無いくせに声だけでけーな!って思っちゃったよ。ジブリ以外のアニメ知らんだけだろ。ジブリは最高峰ではあるが最先端ではないからな。正直なところご老人たちの反応なんかどうでもいいしな、とか思っていたが、アニメみたいに賑わってるクリエーション畑でも決定権を握ってるのは中高年男性なんだねえ、というのが透けて見えてがっかりした。やっぱ描き手の売り手市場に甘んじて制作プロセスの養成を軽視したツケが来てるんじゃないの。知らんけど。

やだやだ、愚痴は良くない!

でもどんなにいい映画でも観る手段が無かったらどうしようもないじゃん!そんでそのわずかな可能性を観る目の無いおじ(い)さんたちに削られるのはイヤじゃん!!!うゎーん!!

ということで、『ストーム』観たよ!ていう覚書でした!記憶が曖昧になっているであろう未来の自分へ向けて、ね……。いや何とかしてどこかが上映権を買ってくれないかなあ??金なら出すからよ。けっこうマジだよ。貯金が足りるか知らんけど。

また劇場で観れる機会があったらみんな一緒に観てくれよな!約束だぞ!(未来の自分へ)(そればっかり言う)

では!!!