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映画「関心領域」を観たので短い覚書

昨年の賞レースで話題をさらった『関心領域』、テーマは重いし映画としてはちょっと不親切ではと感じるくらいにはミニマムな語り口だし、ちゃんとした知識が無い自分としてはまとまった感想を出力するには力不足なのですが、まあちょっと考えたこともあるのでメモ代わりにね。

粗筋とか、映画の中で描かれる出来事の意味とか事実関係とかは、丁寧な解説がいろいろあるので大変ありがたかったです。そういうのを読むきっかけになったら、製作陣も本望なんではなかろうか。

ということで、以下は本当にただの感想だよ!何の参考にもならん。

とりあえず鑑賞中は、巨大な組織で要領よく出世していく優秀な奴は、そのための”見ないふり”にも熱心で勤勉だなあ!!!と思いましたね。仕事ができるぜアピールも欠かさないが、その仕事における成果とは何か、そのあたりのことは考えないんだよね。まあ考えていたらとても正気ではいられないだろうが。あと、ごく狭い範囲で敗者となることへの恐れ。

しかしこれは、日本で、特に給与所得者である大多数の人々も程度の差はあれ同じ状況にあると言える。日々テキパキと生産される工業製品が、ジェノサイドの現場で活躍したり、間接的には世界各地の戦争の資金源になっていないはずがない。あるいはサービス業、公務員であっても、その仕事が誰かを排除したり攻撃したり、自分や他人を搾取する構造に加担することは多々あるだろう。

やなせたかしが、正義というものは、飢えた人に食べ物を用意することだ、と言っていたのはまことに正しいなあと思う。その行為は確実に、だれかを生かし、包摂することにつながるから。人間にとって意味のある仕事というのは、端的にはそれだけかもしれない。

とはいえ我々はこの世界で生きて行かなければならないので、資本主義社会が続く以上、金銭を得るための労働から簡単には逃れられない。恐れからも自由ではいられない。だからせめて、この世界の構造に自覚的でいたいと思うし、なけなしの知恵や勇気は抗うために使いたい。自分や家族、友人知人の現世利益は必要だが、でもそれを追求するだけでは人間だとは言えないのだと、この映画は告発しているのだと思った。

それは、短くも印象的な、温かみのある場面で登場する、収容所の周囲に住むレジスタンスの人々の姿で、寡黙なやり方で示されている。

ところで、主人公である所長の出勤シーン、ほとんどシチュエーションコメディの趣きでしたよね。仰々しく馬にのって、30秒くらいで到着しそうな、家の門のすぐそばにある高い塀に向かっていくの、お笑いシーンかと思ってしまった。もしかして本当に笑うところだったのか??

まあ全編がそんな感じでしたけどね。転勤が決まってから、妻になじられて、神妙な面持ちをしてどこへ行くのかと思えば厩舎で馬とお別れの挨拶、とか。シュールなギャグかと思ったけどたぶん違うよね?

基本的に志の高い映画で、やりたいことはほぼ完璧に伝わるように技術的にも細心の注意を払って作られているとは思うが、でもけっこう意地悪な映画だな、と思ったポイントもいくつかあり…

1.ヘス夫妻の内面描写の有無

内面と言えるほどの内面がそもそもあるのか?という問題提起も感じなくはないが(なんかやたら突き放したような撮り方はそれを狙っていると思う)、所長をやってる夫のほうは、まだ自発的な行動の場面がいくつかあって、なんとなく抑圧された内面のようなものが類推できそうな感触があったけど(ラストの階段とか)、妻のほうはそういうの全然なかったな、というところ。夫が、有能な”流され野郎”だとしたら、妻は”流した”側みたいになってて嫌な感じだ、と思いました。考えすぎかもしれないが。そうだとしたら、夫の側がちょっと免罪されてしまうようにも受け取れるし(やってることがやばすぎてさすがにそういう感想は見かけなかったが)、それはアンフェアでは?て思っちゃった。固定カメラを駆使して客観性を装った撮り方をしてるから余計にね。ザンドラ・ヒュラーの精密な演技や身体性によって、どうにか人間の所業に見えたから良かったけどさあ……。

 

2.うっかり自分語りの誘発

これは観客に対して、ってことなんですけど。SNSで流れてくる感想で、「映画の中で明言されないけど何が行われているか分かってしまう、物知りで察しの良い自分がつらい」って言ってしまっているのが散見され、どうもいただけないなあと思うと同時に、感想を書くくらいには能動的に映画と関わっている人たちにそう言わせてしまうようなつくりの映画をつくった製作陣が、意地悪だなあと感じた次第です。「意味が分かると怖さが倍増するホラー映画」じゃないんだからさ、分かりにくいところがいくつかあっても、それをとっかかりにして本を読んだり映画を観たりすればいいだけでさ。鉄条網が張り巡らされた「壁」に象徴される分断を、感想で煽ってどうすんの、てなったわけです。分からなかった人を排除するんじゃないよ。例えばもっとパーソナルな作品だったら、解釈の可能性を開いてもいいけど、そういう映画じゃないでしょ?ということです。読みの深さを競ってはいけない。

そういえばおもに旧ツイッターで、「悪の凡庸さ」「凡庸な悪」を誤用して田野大輔先生に突っ込まれてる人たちの一部は、「自分は非凡だから悪ではない」っていう自意識?が透けて見えてるのが醜悪ですよね。特に知名度がある人たち。むしろその言葉を自分の思い込みで使って発信して恥じないお前こそ、アーレントの言う「凡庸な悪」の才能があるよ。知らんけど。

はい、ということで『関心領域』の感想でした!(最後はただの暴言だが)

テーマも手法も論争的ではあるが、当事者が不在の世界でとてつもない出来事をどう語り継いでいくか?ということを模索する試みのひとつなのかなと感じました。日本もひとごとではないのですが。

観るなら割と気合を入れて観たほうがいい映画だと思います。意地悪な意図や安易な感想に”流されない”ために。

では!!!!