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今のところ映画の話をしています

映画「EO/イーオー」を観て、「ボーンズ アンド オール」と似てるな…?と思う

観てから間が空いてしまったけど、急に思い出したので書きます!

あんまりネタバレとか関係ない作品だとは思うけど、『EO/イーオー』と『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー:VOLUME 3』と『ボーンズ アンド オール』の設定や展開についての話をするから、未見の人は気を付けてね!!!

日本では『EO/イーオー』と『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー:VOLUME 3』がえらい近い日程で公開されて、続けて観た人も多いと思うが(そうか?)、まさかのメインテーマ被りが発生していてびっくりしましたね。アニマルライツ(動物倫理)が社会学・自然科学の垣根を越えてここ数年ホットな話題だというのは何となく知っていたけど。日本でもいくつか翻訳書が出たり、あと各地の動物園の取り組みがマスメディアで紹介されたりとかで、だいぶ人口に膾炙したなあ、と思っていたところだけど。

まあピーター・クイルの中の人は動物の福祉とかそういうのあんまり興味なさそうですよね、どういう解釈であの話のあの役を演じていたのか興味ありますね。っていうか恐竜のほうの扱いもな~(ずっと言うからな)。

ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー:VOLUME 3』は、アライグマ氏をメインに据えて、人間に搾取された動物たちが主体性を取り戻す話をやっててすごく良かったです。それぞれのキャラクターが自分の人生を手に入れる話でもあったし。(ただし作劇の都合とはいえ、途中であの惑星がひとつ消滅するくだりはちょっとキツかったね…MCUで何もエクスキューズなくあれをやると思わなかったからさ)

『EO/イーオー』のほうは、もっとずっと現実的なのでロバの主人公が望む理想郷には辿り着けないんだけど…。

で、本題はそっちではなくて、『ボーンズ アンド オール』なんですけども。いやあの、『EO/イーオー』と『ボーンズ アンド オール』、似てませんか???似てるよね???

上手く説明できないので箇条書きになりますが…

 ・疎外された無垢なる者たちのロードムービー≒地獄めぐり

 ・クィアネスを感じさせる異端の愛

 ・搾取する/される側を強制的に転換させる物語構造

っていうあたりが…。以下、蛇足の補足。

 

・疎外された無垢なる者たちのロードムービー≒地獄めぐり

両作品とも、一般的な社会から疎外され(あるいは主体性を奪われ)ているがゆえに無垢なままの少年少女、あるいはロバが、安息の地を求めて旅するロードムービーですよね。あと、旅そのものが救済になるのかと思いきやそうでもなく、次第に地獄めぐりに近接していくところもよく似ている。彼らの居場所は現実世界のどこにもない、という事実を確認していく旅。行き着く果てに待っているのは、この世の外でだけ成就する救済。

 

クィアネスを感じさせる異端の愛

『ボーンズ アンド オール』のほうは分かりやすいのでもうええか。主人公の少年少女、どちらも中性的な雰囲気だし、あと性的指向も流動的な感じで描写されてましたね。あの二人の結びつき自体が、性別を越えたものと捉えることもできる。あとけっこう繰り返し、愛や愛になり切れなかった想いや関係性を色々なやり方で描いていたと思う。どこか別の世界では愛になり得たかもしれない異形の感情たちが、画面のあちこちで寄る辺なく彷徨っていて、観客はそれをグロテスクだと感じてしまう自分に気付かされる。

『EO/イーオー』では、主人公のロバがサーカスのパートナーの女性に抱く愛着が、たぶんそれ。ロバの主人公が種族の枠を超えて育む愛は、誰にも理解されず(たぶん相手の女性にさえも)、愛する者の傍にいたいというささやかな願いは叶わない。主人公が望む愛は、世界のどこにも存在しない…。

そう、どちらの作品でも、主人公たちが求めてやまない愛は現世では成就しないのです。優しくありたい観客を突き放す圧倒的な孤独が、苦くて深い余韻を残す。

 

・搾取する/される側を強制的に転換させる物語構造

『ボーンズ アンド オール』の食人は、直接的には(性的)マイノリティの暗喩だと思うけど、表現を素直に受け取ると、映画の観客は主人公たちからしたら”食べ物”なんですよね。だけど物語だから、主人公に感情移入せずにはおれない。だから観客は映画を観ているあいだ、主人公たちの”食う側”と、自分が所属している”食われる側”を揺らぎながら行き来することになる。これが普通のホラー映画だと”食われる側”に安住できるんだけど、この映画はそれを許さない。

それは『EO/イーオー』も同様で、徹底的に主人公のロバの目線で物語が進むことで、観客は”人間に搾取される”感覚を追体験することになる。めちゃくちゃ居心地が悪いんですよ、これが。誰にも話を聞いてもらえず、自分の居場所を選べず、欲しいものは何も手に入らず、最後は…。それをロバに強いているのはごく普通の人間たちであり、我々の一部であり、普遍的な人間の営みそのものがその搾取構造を支えている。

観客である我々は人間なので(だよね?)、映画で断片的に示される人間側の都合はすぐに理解できるが、ロバの行動原理はなかなか分かりにくい。だから油断すると人間の論理で映画を観てしまい、主人公のロバを愛玩するような目線になってしまうんだけど、そんな安易な感傷は映画の作り手によってあっさり拒絶される。その不安定な立ち位置のまま、結論を宙吊りにされたまま、ラストまで連れて行かれてしまうのが、『ボーンズ アンド オール』と似てたなあって思いました。

どちらも、すごい挑発的な映画だったよね、観客が意識的/無意識的に安住する立場を直接揺さぶってやろうという気概に満ちていた。主人公たちに感情移入できた人もできなかった人も、どちらも何かを考えずにはおれない、知らない感情を喚起されずにはおれない、そういう作品でしたね。

なんかこういう、互いにあまり関係なさそうな作品同士でテーマや手法が似通ったりするのを発見するのは、リアルタイムに新作映画を追いかける楽しみのひとつですね。

『EO/イーオー』も『ボーンズ アンド オール』も万人には薦めづらい作品だけど、刺さる人には深々と刺さるタイプの映画だと思うので、ちょっとでも気になる人はどうにかして観てよね!

では!!!!