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映画「ハッチング-孵化-」のラストカットでスタオベしそうになった

いや~、ホラー映画を観て「最高のハッピーエンドだったー」みたいなこと言うやつの気が知れねえ、ってずっと思ってたんですが(「ヘレディタリー」以降、そう言うのが気が利いてる、みたいな風潮もあったしさ、あったよね???)、今作で自分もはじめて思ってしまった、最高の結末じゃん!!!ってね!!!拍手!!

で、そういう感じのテンションで帰宅して、有識者のレビューをちょっと探してみたら、やたらバッドエンドを強調してたり、意外な結末が良い、みたいなことを書いてたりするのを読んでしまい、あれはバッドエンドではないし大して意外でもないだろ!!ってなったのでその勢いを駆ってこの文章を書いています。

でも女性と男性でも感想が分かれそうな気がしますね、あとラストの解釈も、人によってかなり違う意見が出るのもまあ分かる。

なので自分が思ったところをここに書きとめようとしておりますので、以下、ネタバレ配慮せずに行きます!!!

万が一、まだ観てないのにここに辿り着いてしまった方がいらっしゃいましたら、回れ右して本編を観ていただけると嬉しいです!!いやお任せしますけども!!

はい!

まああの、花柄の壁紙に囲まれた薄暗い部屋で、北欧美少女が卵を抱えているメインビジュアルだけでもう、天才が撮ったんか!?って思いますよね。全編、このビジュアルイメージをまっっったく裏切らないまま完成されていたので、まずそこが最高でした!!

パンフレットの監督インタビューで、ちょっと過剰な作り込みでドールハウスみたいな印象を与えたかった、というようなことを言っていて、なるほどな!と思ったり。

この非現実的なまでに作り込まれたセットや衣装が、メタファー的な使われ方だけでなく、母親が”理想の生活”の動画配信者だからそういう内装の家に住んでいる、っていうものすごく即物的でリアリティのある役割があったのが良かったですね。配信動画という母親が作り上げたフィクションの中に住む主人公は、まさしくその作りもののドールハウスに置かれたお人形なのですよね。

で、それとは逆にとっ散らかって未完成で、でも人の温かみのある手作り感のある内装だったのが母親の不倫相手(!)の家なのがまた皮肉が効きすぎている。この不倫相手、主人公に対峙する大人の中ではかなりまともなほうのだが、DIYとか家具の修理とかが好きな北欧の理想の男って感じでさすがにちょっと笑ってしまった。母親の所業に対して辛辣すぎるよ!(そんなことないか…)

この映画の中でいちばん怖かったの、みなさんはどこですか?自分はですね、この不倫相手に幼い娘がいることが判明した瞬間ですね…!今思い出してもちょっとぞわっとする。上で書いたように、基本的にはDIYで作りかけだけど居心地の良さそうな家の中で、唯一この赤ちゃんの部屋だけが、母親の趣味のとおりの過剰に”完璧な”内装なんですよ。そう、母親は、もう”次”の娘を見つけているんですね。うわぁ…。あんまりその辺に言及してる解説が無かったのですが(そこまで触れると長くなるからかもしれんが)、あれは確実に、今の娘で失敗した場合の”保険”だったよな。あそこで映画全体のギアが一段あがったような感じで良かったです、はい。

だから主人公の攻撃性があの赤ちゃんに向かうのは、母親の愛情を奪われた嫉妬ではなくて、母親に捨てられるという恐怖のせいですね。まあ最初に犠牲になった犬も別に嫉妬してたわけじゃなくて、恐怖の対象だったもんな。そういやそうだったわ。体操仲間の女の子に対する感情も、恐怖だよね。自分の存在意義を失う恐怖。割と問題のありそうな弟に攻撃の矛先が向かないのは、自分を脅かすほどの存在では(まだ)ないから。

この映画、最終盤まではずっと主人公の恐怖が外部への攻撃性を持ってしまって、六条御息所の生霊のように、コントロールを失って徘徊しているところが怖いんだけど、最後、主人公がそれを自分が育てたものと認め、受け入れた瞬間からは全然こわくないんですよ。ただただ二人が健気で可哀そうで、抱き締めてあげたくなる。主人公の抑圧と恐怖から生まれた分身も、母親と触れ合って、成仏(成仏?)できそうだったのに結局、殺意を向けられてしまって本当に可哀そう。でもその”母親に殺されそうになるる”っていう経験を通じて、分裂した自我が融合する(生霊の存在を認める)きっかけを得る、というのは上手いつくりだなあ!と思いました。主人公は、無自覚だけど精神的に殺される寸前だし分身のほうは物理的に殺されそうになって、二人の経験がクライマックスできれいに重なっている。このままじゃ二人とも救われなさすぎる…て観ていたら、最後は二人が融合を果たして成長を遂げたのでスタンディングオベーションですよ、マジで。あの母親も、自分が殺したはずの娘が生きてて、ちょっと困惑したような安堵したような表情してたじゃん。良かったね、娘殺しにならずに済んで。

自分が予想してた結末としては、あの分身の謎生物がどこまで物理的な実体なのかが分からなかったのもあって、
 1.主人公と分身が融合して自我を失って化け物になって関係者全滅
 2.主人公と分身が融合できなくて両方死ぬ(六条御息所エンド)

のどっちかかな~と思いながら観てたので、それに比べたらかなりハッピーエンドじゃないですか!?いや~ラストまでみんな元気そうで良かった~!!(不謹慎)

お父さんも、出番は少ないけどイヤな存在感があって最悪でしたね(褒めてる)!ギターを練習してて、娘が何かを言いそうになるんだけど、「もういいよね」みたいな感じでヘッドホンを着けなおすところ、血の気が引くような絶望感!この役立たず!バカ!!

でもそういうどうしようもないお父さんも、分身の子の攻撃対象にはならないんだよな。家族の誰も傷つけたくないという、主人公(とその分身)の優しさが泣けるのよ…いい子だね…ぎゅっ(ハグ)。母親の寝室に分身のほうが忍び込むシーンでも、眠る母親の手を握り、古傷をそっと撫で、大切なもののように扱うんだよね。それはあのべたつく粘液のような、不健全な愛着かもしれないけど、でも大切に思っていて、抑圧下にある自我も含めて愛して欲しいという切実な願いが伝わってくる良いシーンだった。

主人公の謎生物への接し方も、自分が愛されていたと思うやり方で愛そうとしていてすごく良かった。コントロールしきれなくて(まるで母親と同じように)閉じ込めちゃうところは切なかったけど、様々な変化を受け入れて、食べ物を与えて、見た目を整えて、そういう穏やかなふれあいは、本来の家族と過ごす時間よりもよほど家庭的な優しさがあった。主人公がまさに望んでいたことが、小さな関係性の中で実現していた。

そういう主人公の望みがかなう希望を残して、分裂していた自我も統合できて、マジでハピエン。ラストカットの表情は本当に素晴らしかったですね!

そもそも、思春期の少女の不安や違和感の現れとしての摂食障害と、雛鳥の養育を結びつけたのが本当に天才だと思うんですよ。ある種の鳥が吐き戻しを雛に餌として与えるという事実をそのまま投影して、主人公の涙や吐瀉物や血を摂取して謎生物が立派な分身に育つ、という設定にしただけでもメタファーとして成立していると思うけど、体操を習っている少女を主人公にしたことで、嘔吐や異食が彼女自身の状態を表現するモチーフとして機能していたのが非常によくできていると思いました。

鳥の華奢な骨格と、少女の身体を重ねるところとかも、上手いなあ~って。

あと、脚本にちょっと弱いところがあるとすれば、不倫相手からもらったプロテクターの役割が分かりにくかったところかな。もしかすると製作の途中で削ったのかな、とも思うけど。まああれ以上家族以外の視点を入れると、ストーリーがやや散漫になるような気もするね。赤ちゃんを襲ってしまう決定的な瞬間に、段違い平行棒を手放す決意の一押しをした可能性はあるけど、ちょっと何か見逃したかもしれないので、保留!!

演出と言えば、母親が娘(と分身)に傷をつけた場所が、自分が選手生命を絶たれたであろう手術の傷と同じ場所なのが、また皮肉が利いてるわね~って思っちゃった!皮肉って言うか、母親自身の分身(!)として成功させたがっていた娘を見限ったときに、自分と同じ傷を与えて罰してるみたいだったね。うえぇ…。

本作、CGをほとんど使わずアニマトロニクスと特殊メイクを駆使して製作されており、そのクオリティも非常に高いので、その辺りに興味がある人にもおすすめなんではないでしょうか!知識がないので分からんけど……(うーん)そういうのも含め、本物志向と非現実の演出のバランスが素晴らしくて、監督のセンスがいいなあと思いました。

まあとにかくですね。

繊細で行き届いた演出と、すみずみまで作り込まれた世界観、俳優たちの瑞々しい演技が、フィンランドの柔らかい光の中で繰り広げられる美しい悪夢を完璧に具現化していてすばらしかったです、はい。

ということで!

あのラストシーンは最高の救済なのか最悪のバッドエンドなのか、みんなで見届けような!!!よろしく!!!

では!!!!