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今のところ映画の話をしています

映画「ロング・ショット 僕と彼女のありえない恋」を観てMake America Great Againをぶっ飛ばそう

はい!!邦題もメインビジュアルもぜんっぜん興味を惹かれなくて観てなかった「ロング・ショット 僕と彼女のありえない恋」!!!めちゃくちゃ面白かった~~~!!!

本稿のタイトルで示唆させて頂きましたが、邦題からは想像もつかない設定&展開で、最高にロマンティックな出会いがアメリカ政治を覆うガラスの天井をぶち破る(かもしれない)、っていう話で、なんかハリウッドの「俺たちがやれることをやっていこうぜ」感に心を打たれたよね…。いや基本的には気楽に観れるハッピー&ラッキーなロマコメなんだけどさ。

ということで、同じように見逃してる人もいるかもしれないし、良い作品を褒め称える言説はひとつでも多く世の中に残しておかなくては…、という謎の使命感のもと、どういうポイントが面白かったのか、書いておこうと思います!!

ていうか別にこの記事は読まなくてもいいので、たぶん色んな配信サービスで気軽に観れるから、とにかく本編を観て欲しい!!

ト〇ンプ元大統領が起訴されたいま、絶好の視聴タイミングです!知らんけど!

あまりネタバレせずにいくつもりです!!

~あらすじと概要~

アメリカ史上初の女性大統領を目指し、大統領選への出馬を控える国務長官。大統領を補佐しながら世界を飛び回る有能な彼女と出会ったのは、体当たり取材と尖った社会批評が売りのフリージャーナリスト!スピーチライターとして雇われ、全く違う世界に生きる彼女を理解しようと奮闘する…!!

ていうね!!

本作、おそらくトランプ元大統領が選出された、アメリカがめちゃくちゃ大変だったあの選挙の直後に企画されたんだと思いますが、直球のカウンターだけでなく、こういう視聴ハードルの低いコメディ映画でもきっちり現実への失望と期待をメインテーマにするんだな、って感心するよね!!

別に社会風刺にピンと来なくても、とっても出来の良い、社会人の異業種交流ポリティカル格差ロマンスコメディ(欲張り!)なのがいいんですよ。『ローマの休日』で諦めたあの関係を、もっと主体的に取り戻すような、トラディショナルかつフレッシュな恋愛モノなのです!(『ローマの休日』もものすごく政治的な文脈のある映画ですが、それはそれとして)

 

~もうちょい詳しく~

前段でも書きましたが、アメリカ初の女性大統領に一番近いとされる国務長官が主人公の一人なので、あの世界中が震撼した(と思う)2015年の大統領選挙の結果を踏まえているはずです(本作の企画が公表されたのが2017年初頭なので)。

で、劇中の大統領は俳優上がりでそれなりに野心があるが、映画俳優を目指すために今の任期で引退することを決めており、後継者にシャーリーズ・セロン演じる有能な国務長官を指名することに合意している。立候補に向けた実績づくりに協力する意志もあるが、任期終了を前にした事なかれ主義が、政治家としての彼女の足を引っ張る…という展開で、国務長官の仕事内容や立候補者に求められるスペックなどをテキパキ説明してくれるので、状況が大変に分かりやすい。

…しかしアメリカのエリート実務者って、マジで信じられんくらい働くよね…これは他の映画を観たときも思うけど(『女神の見えざる手』とか)。そんな生活でロマンスが成り立つのか?というスリル(?)も必見だよ!!

ちなみに、劇中には大統領になってないトラ〇プもちゃんと出てくるので安心して欲しい(しかもすごい腹立つ感じで出てきて笑ってしまう)(現実のト〇ンプもこういう感じで政治に介入してたのかなあと思うと笑えないが)。

もう一人の主役のセス・ローゲンは、体当たり取材を得意とするジャーナリストで、極右の秘密集会に潜入して怪我をしたりしています(が、身体が丈夫なのでいつも無事!)。ただそういうキワモノ寄りの記事を載せる左派系ジャーナルは経営が厳しく、フリーランス…っていうか無職になってしまいます。成功した友人に愚痴をこぼしつつ、誘われたハイクラスのパーティーで運命の再会(!)を果たし、全く違う世界に生きる国務長官のスピーチライターを任されるのです!わぁわぁ!

学業や仕事に邁進し真面目一辺倒で生きて成功してきたシャーリーズ・セロンと、仕事は無いけど正義漢にあふれユーモアのセンスがあるセス・ローゲンの二人が息ぴったりで、観ててすごく楽しい!二人とも、互いの前ではリラックスして認め合い、信念や信条を尊重しつつ足りないところを補い合っている感じで大変にハッピーなアトモスフィアに満ちている。立場の違いを理解しながら、でもどちらかが卑屈になることもない。

 

~中年女性主人公のロマコメというジャンル~

それで、観終わってから気付いたんですけど、成功した中年女性(作中で年齢は明示されないけど、国務長官になるまでキャリアを積もうと思ったらそれなりの年齢のはず)と年下&低スペック(社会的にね)男性のロマコメということで、2022年に立て続けに公開された、中年女性が主役のロマコメの先駆けだったのでは…!?と思い至りました。本作は比較的コンパクトで親密な雰囲気の映画だけど、ここに商機があるとみて企画を立てて投資を集めたプロデューサーが複数いたってことよね…??慧眼!!

確かに、本作フレッシュな味わいで面白いのよ。お仕事コメディで格差ロマンスなんだけど、周囲の人々も含めキャラクターが個性的ながら親しみやすく、それぞれがちゃんと社会人をやっていて、互いに敬意を払っていて、ディティールにきっちり世相を反映している(作中の大統領[アホ]とメディア王[邪悪]にだけはかなり辛辣だけど、それは企画時期を考えると当然だね!)。

なお、女性の方がかなり社会的地位が高いので、全体の雰囲気はジェニファー・ロペスの『マリー・ミー』が近いかなと思います。女性があまりにハイスペックなのでむしろ観客のほうが怖気づいてしまうよね!きちんと人間として向き合うセス・ローゲンオーウェン・ウィルソンは偉いよ(?)。

本作のシャーリーズ・セロンはそれはもう知的でキュートで最高だったんですが、ご本人が相当な努力家であることを反映しているような、誠実で聡明でガッツのあるキャラクターで本当に素敵でした。

で、セス・ローゲンもなんか終始しあわせそうで本当に良かった、良かったね…てなりました。割とこう、不機嫌なスタイルのコメディアンなのかな、という印象があったので。知らんけど。

 

~政治的なメッセージのことなど~

基本的に肩ひじ張らずに観れるロマコメ映画ですが、それでもこういう作品を世の中に問う以上、製作陣が何らかの主張を込めるのは当然ですね。

そもそもさ、2015年の現実では女性大統領が誕生できなかった以上、それをフィクションに登場させること自体が世の中へのメッセージだよね。どこで読んだか忘れたけど、映画、ドラマ、アニメ、小説などのフィクションで実感を持って語られたことはいつか必ず実社会で実現する、っていう話で、本作は女性大統領が誕生する可能性の道筋を描いて見せた時点で、既にその実現に一役買っているのですよね。ていうか、女性大統領が誕生した暁には絶対に本作に言及されるでしょ!?ほかに類似の作品も見当たらないし、先駆的で野心的な作品だなあと思うのです。

あとね、正直さや誠実さを政治家にとっての美質として描いているのも良かった。折衝力や演出力もあったほうがいいけど、でもそれが本質じゃないよね?っていう。

そのへん、理想主義的すぎるという意見もあるようだけど、本作のメインストーリーは格差ロマンスだからね。政治で妥協して愛を手に入れてもそっちの方が白けるじゃろ。ああ、だからそういう理想を描くためにロマコメというスタイルを選んだのかな、なるほどね!さすがシャーリーズ・セロンだわ(製作に加わっている)。

で、よく考えると原題がダブルミーニングだよね(今さら)。「Long Shot」の意味が「(1)勝つ見込みのない候補 (2)大穴(競馬などで) (3)大博打」なので( long shotの意味・使い方|英辞郎 on the WEB )、セス・ローゲン側から見れば”高嶺の花”的な意味で、もうひとつは女性大統領が”あり得ない”という意味で。

それから、セス・ローゲンの友人として出てくる黒人の会社経営者。彼のキャラクターもちょっと捻ってあってすごいメタな意図を感じたよね。詳しくはネタバレになるので書けないが…。というより、あのニュアンスを正しく汲み取れている気がしない。あの時期にNYで暮らしてた人たちにとっては、たぶんひしひしと切実なテーマなんだと思う。

 

~邦題とメインビジュアルがマジでダメ~

ところでこの邦題、ぜんっぜんダメじゃん!?「ロング・ショット」の意味って、そんなにメジャーじゃないよね!?で、だからってこのサブタイトルもだめじゃない!?ダブルミーニングの片方しか拾えてないし、観た人なら同意してもらえると思うけど、本作の良さがまるで伝わらんよね!?!?

あと、二人が向かい合ってキラキラしてる日本版メインビジュアル(?)もダメ!!セス・ローゲンがジャージ姿で、シャーリーズ・セロンがドレスなんだけど、この恋の”格差”はそういうことじゃないじゃん!!本編ちゃんと観た!?

ということで、もし公開当時に映画館で観ていたら間違いなく「この邦題が良くないオブザイヤー」に選出していた。担当者はちょっと反省して欲しい。

はい!!!ということで『ロング・ショット 僕と彼女のありえない恋』、なんか楽しい気分になりたい大人のみんなは絶対に観てよね!!!たぶんいい歳した社会人のほうが刺さると思うわ!!!

では!!!

映画「フェイブルマンズ」を観てスピルバーグの才能にひれ伏す

やっぱスピルバーグは天才だな~~~!!!!(スピルバーグの映画を観たあとに毎回言うやつ)とか思っていたら、「いやそんなこと、自分がいちばん知ってますけど??」ってスピルバーグに言われる映画だった『フェイブルマンズ』!!!!その通りだな!!!

……。

スピルバーグ、いつもチャレンジングな映画を撮るから追いかけきれないんだけど、今回もまた挑戦的な映画をつくったわね…と思いました。よね!?スピルバーグのことをあまりにも理解し過ぎている、スピルバーグ。いや何言ってんだとお思いでしょうが、作り手が、自分自身のことを完璧に理解したうえで自分の映画を撮るの、ちょっとすごくないですか??

おそらくスピルバーグは、自分に向けられた批判も賞賛も、ぜんっっぶ完全に理解していて、それでもなお、「いや自分の才能は自分が一番よく知ってるし」って言ってる!!気がする!!!

あと、スピルバーグは自分のために映画を撮ってるんだなあというのもしみじみ思い知ったというか。スピルバーグ自身が欲しいもの、恐れているもの、興味を持ったものを分析し、理解するために映画という手段を使っているということが本作を観ると良く分かる。そのテーマは、社会問題だったり家族のことだったり技術的な課題だったり色々なんだけど、スピルバーグが撮りたい題材の中で、世の中の関心や需要に合致しているものに(おそらく)資金が集まるので、完成した映画が話題になって世間の潮流を変えたりするけど、スピルバーグ自身にとっては、そのあたりは完全に関心の外なんだろうな、という気がする。

いやだって、その一挙手一投足が注目されている世界一有名な映画人にしてはあまりにもこう…目立たないというか…賞レースとかをパフォーマンスの場として活用するでもなく、言動が派手なわけでもなく、物静かな文学青年っぽい雰囲気のまま巨匠になっちゃった、みたいなさ。まあスピルバーグは生まれたときから巨匠だが…(?)。

良くも悪くも、その影響力に比して”社会活動家”ではないよなあ、という話です。もっと下の世代の映画人だと(たぶん同世代でも最近は)、その影響力を意識して話題性のある活動にコミットしている話が日本にいてさえ耳に入るが、スピルバーグのそういう話、ほとんど聞かないよね??それが映画ファンから見ると歯がゆいときもある、という意見を見かけて確かになあと思ったものです。ハリウッド映画界の構造的な不平等や搾取に切り込める立場なんじゃないの?ということですね。あるいはもっと世界的な、気候変動や人権問題でもいいけど。それは本当にそう。ただし今のところスピルバーグを断罪するような話も聞かないので、本当に純粋に”映画職人”なんだろうな、と思うのです(褒めても貶してもないよ、念のため)。

公平を期すと(?)、スピルバーグは大規模なジェノサイドやゲイフォビアへの反対姿勢は割とはっきり表明してますね。最低限、利用されないように気を付けている、という感じですが、まあそれでも。

それから、こんなにもパーソナルな映画にさえ、エンタメ的要素を隅々まで詰め込むのもスピルバーグが映画は本質的に虚構の見世物だと考えているからでしょうね。いや分かってはいたが、あまりにも。実の妹さんたちが本作を好意的に迎えているようなので、一介の観客からは、楽しませてくれてありがとう…、としか言えねえのよ。

ということで、以下は『フェイブルマンズ』の具体的な内容を挟みつつスピルバーグは天才だなあ~~という話をしております。自分はただの映画好きなので分析とかは無いです、浅いファンがちょっと打ちのめされただけです、はい。

↓『フェイブルマンズ』について知りたいことがほぼ書いてある記事。

www.hollywoodreporter.com

ポール・ダノをキャスティングした経緯が興味深いのと、ミシェル・ウィリアムズがオファーを受けたときの感想にちょっと感動するのでぜひ。

こっから先、ネタバレしますので!!!ネタバレが面白さを損なうような作品ではないけどね!!

家族を演じたキャストのこととか

スピルバーグの芸術的な才能は、上手く家庭に収まれなかった芸術家の母親から受け継いだものだという話が映画の中で何度か語られていたが、それと同時に有能なエンジニアであった父親からの影響もめちゃくちゃ大きいのではないか…と思った。映画の中では明確に肯定されるわけではないけど(言及はある)、スピルバーグを偉大な映画監督にした発想力、企画力、実行力は、仕事で成功した父親の美点だったんだね。父親自身は、少年が父親の才能を受け継いだこと自体は祝福しているが、『フェイブルマンズ』は芸術が実生活と相容れないことや、むしろ現実を破壊し得ること、に焦点を当てており(それに早々に気付きながらも映画を生業にせざるを得なかったスピルバーグの業の深さよ)、父親が、映画人としてのスピルバーグに直接的に影響を与えたというふうには(映画の中では)なっていないんだけど。あと、現役の映画人の中ではスピルバーグが撮影技術に最も精通しているという技術志向も、父親からもらった才能・性格だよね。

『フェイブルマンズ』、確かに芸術が現実を改変したり破壊したりするんだけど、芸術と生活が対立的にならないギリギリのバランスで描かれていてそれもすごかった。実生活を支える父親と芸術へ引っ張られてゆく母親、それぞれが複雑な陰影のある人間として存在していて、どちらが良いとか悪いとかいう価値判断を許さない脚本、演出、演技が素晴らしかったわね。

っていうか、ポール・ダノ、めっちゃ良かったよね!?いやポール・ダノが良くなかったことなどないが…(たぶん)。撮ってるときで37歳!?マジか~…。なんかエキセントリックな役柄が多いイメージあるけど、何でもできるタイプの表現者でしたね、失礼。自分はどちらかというとポール・ダノ演じる父親寄りの人間なので、芸術家人生を歩む家族を見つめる表情や仕草、その喜びや葛藤や苦しみに、なんかこう、グッときましたね…。

ポール・ダノの話を書いていて気付いたが、こういう夫婦役で、男性側の俳優のほうが実年齢が下なの、ちょっと珍しい気がしますね??ポール・ダノ1984年生まれで、ミシェル・ウィリアムズが1980年生まれ。安心感とフレッシュさを両立させている素晴らしいキャスティングだと思うが、良くこのメンツを集めたよな、さすが巨匠だぜ。

キャスティングと言えば、ベニーおじさん役のセス・ローゲンスピルバーグのご指名で決まったらしいが、そんなに似ているのだろうか、おじさんに。セス・ローゲンがセットでお芝居をしているときにスピルバーグが涙ぐんだのを見て、「監督を失望させた、クビになる」と焦ったらしいエピソード(Seth Rogen says he thought he was going to be ‘fired’ after making Steven Spielberg cry on The Fabelmans set | The Independent)、セス・ローゲンいかついのにかわいいね…。しかしスピルバーグは、たとえ俳優の演技に失望したとしても眉ひとつ動かさずに「使えるシーンあるかな…」って撮れ高のこと考えてるタイプだと思うぞ。知らんけど。

 

凝った撮影、意外とドライな演出とか

ところでこんなパーソナルな題材なのに、情緒に流されそうなところをバチッと切って、撮影技術がどれだけ凝ってるかでそのシーンの位置づけを語る、みたいなことを随所でやっていてすごかったですね!?

いちばん衝撃的だったのは、母方の祖母が亡くなった後、ピアノを弾く母親と、その音をBGMに主人公のサミーがキャンプのフィルムを編集するシーン。サミーをぐるっと360度方向からワンカットで撮るのと、母親の表情にフォーカスしていくカットが対になってるのかな?と思うんだけど、母親のほうは鏡像で寄っていくので、どちらもカメラがどこにあるのか分からない感じの映像になっていて、没入感というか、観客が彼らの人生に参加させられる感じがすごいのよ。で、物語上でもすごく重要な場面なんだけど、カメラを動かしきったら、そこで割とバサッと終わるんだよね。余韻とかない。その前後の、病室や上映会のシーンでも、表情を長々と撮ったりせずにぱっとシーンが切り替わる。起承転結が終わったら終わり!ていう強い意志を感じる。

…ラストカットでも思ったが、もしかしてオチをつけないと死ぬ呪いにかかっているのか、スピルバーグ

ボリスおじさんとの鬼気迫る対話も、ベニーおじさんとの感情が迷子になるようなお別れも、なんか気の抜けたような感じのオチで終わらせてて、緩急の付け方がなんかもうめちゃくちゃ上手い(もっとマシな褒め方はできんのか)。だいたいベニーおじさんとのあのカメラ屋の場面、あんなに凝った構図で撮る必要ある!?いや観客としては楽しませていただいて有難いのですが!

そういう感じでずーっと、物語が動くところ、撮影技術の極みを堪能するところ、軽やかな音楽を聞かせるところ、が絶え間なく入れ替わりながら続いていて、映画に飽きるヒマがない。90分くらいのサスペンス映画を観ているときみたいな、途切れない緊張感がずっと持続して、しかしその緊張は木漏れ日の下でのウォーキングのように心地よく、強度のコントロールが絶妙。2時間31分の静かな人間ドラマを、あっという間みたいに感じさせるのすごいよな…やはり巨匠は天才だな!!(何回も言う)

 

スピルバーグの過去作との関連とか

まあ巨匠のフィルモグラフィとの関連については有識者の皆様にお任せするとして…(言うてもそんなに観てないからな)(え?)

色んなところで指摘されてる初期の傑作『激突!』っぽい映画との出会いとか、『未知との遭遇』で、家族の誰にも理解できないものに熱中して遠くへ行ってしまう父親とか、なるほど…って感じでしたが、個人的に気になったのは、クローゼットの扱いですね。最初は、自分の撮ったフィルムをこっそり上映する”素敵な秘密”の場所だったのに、最後に出てきたときは、家族の誰にも言えない秘密を閉じ込める場所になっていて、『E.T.』でクローゼットが子供たちだけの場所だったのを思い出して切なくなった。少年の無垢な子供時代は、クローゼットの中の秘密と共に、心の奥に閉じ込められてしまったみたいだった。

あとスピルバーグ作品で指摘されがちなこととして、ロマンスの描き方が下手、っていうのがあると思うんですけど、実際そんなに上手くない…っていうかロマンス描写が下手なところが好きなんかもしれん、自分。……。

…えっと、それで恋愛描写が苦手だからとりあえず最後に男女がキスしときゃいいと思ってないか?っていう批評に対して、(劇中で)「ヒーローの物語の最後は、相思相愛のロマンスで終わらなきゃね」みたいなことを被写体になった少年に言ってて(台詞ではそこまで言ってないけどだいたいそんな感じ)、なるほどそんな義務感が…って感心しちゃったよ。これ、この場面の直前にサミー自身が女性関係に全く疎いせいで振られてるから、自分が持っていないもの全てを持っていそうなイケてる同級生には美しい恋愛エンドがなくてはならない、っていう気分なのも分かるんよね。そういうとこ、嫌いじゃないぜスピルバーグ…。

あと女性の物語を撮るのが苦手、っていう指摘に対しても、劇中で妹たちに「もっと女の子を出してよ!」って言われてましたね。分かってるんじゃん、スピルバーグ。まあ内気な文学青年だからな…。ちなみに『ペンタゴン・ペーパーズ/最高機密文書』のメリル・ストリープはすごく良かったので、その弱点もがんばって克服したのであろう、たぶん。

 

映画を撮る側の功罪とか

『フェイブルマンズ』の中で、繰り返し語られているのが「映画と現実の関係」だと思うんですけど。

最初は、「列車を壊さなくても何度も衝突の場面を観ることができる」ような、現実を(多少の誇張を含みつつ)そのまま映しとる技術として(妹たちとの自主制作、引っ越しの記録などはその延長にある)、次に現実を思い通りに変えるツールとして(主役の少年たちをヒーローにしたり、俳優や観客の感情を動かしたり、サミー少年の社会的地位を上げたり)。

そうやって上手く使えるようになった途端に、カメラは撮影者の意図を裏切り始める。見たくないからこそ見えていなかった家族の秘密が映っていたり、カメラの前に立ったヒーローが、物語に没入し過ぎてカットの声をかけても演技(もはや演技ではない演技)をやめなかったり。

その後、そういうカメラの力をコントロールできるようになったかに思われた高校最後のイベント撮影で、そうやってカメラに映るもの、映画に必要なもの、を自在に選択できる能力は、ただそこにあったものをそのまま撮るだけでも、被写体にとっては暴力的でさえあるということを知る。あのプロムでの上映会シーン、解釈が分かれそうではありますがね!!!というか、自分はいまだにちゃんと咀嚼できている気がしません。

あの金髪美丈夫ローガンくんは、カメラに映った自分を観て、本当は、何に動揺したのだろう?サミー少年から無自覚に向けられた欲望を嫌悪したのか?(群衆の中にいてさえピントを彼に合わせていたよね)サミー少年が写した自分と、現実の自分との差異に絶望したのか?(でもサミー少年にはそう見えていたんだよ)自分と同じ姿をした美しい神の偶像に熱狂する大衆を恐れたのか?(君にはカリスマ性がある…)

あんなにも尊大で自信に満ち溢れた彼をして「あんなの俺じゃない」と言わしめるサミー少年の恐るべき才能、それをあの時点で最も理解していたのが、学園ヒエラルキーの頂点をただただ謳歌しているように見えたローガンくんだった、という話なんだよね、たぶん。そして、シンプルだけれど圧倒的なカリスマとして撮られたことにより、ローガンくんの複雑な内面が引き出されるという、もはやサミー自身にも制御できない映画の暴力的な魔法。だってサミーは、ローガンくんがそんなに繊細な鑑賞眼を持ってるとは思ってなかったはずなので。

でもその映画の魔法によって、彼ら自身さえ無自覚だった(と思う)複雑で繊細な感性を、それまで縁遠かった男同士でさらけ出すという奇跡みたいな瞬間が訪れて、唯一無二の美しい交流が生まれていて本当に素晴らしかった。二人が清々しい笑顔で別れたのも、少なくともあの瞬間は、互いの巨大な才能や精緻な感受性を認め合う、本質的な出会いができたからだよね。まあだからそっちが、本当の映画の魔法だったのかな…現実に介入する映画の魔法。使う人間によって、悪い魔法にもなり得る強い力。

 

その他のことなど

しかし本作で描かれる、映画の最大の功績にして罪というのは、サミー少年をもう常に映画のことしか考えてない奴にしちゃったことですよね!ボリスおじさんの言う通り、芸術というライオンの口に魅入られて、そこに頭を突っ込んだ奴はそのことしか考えなくなるんだよ!家族が悲嘆にくれていても、大喧嘩をしていても、それをどう撮るかを常に考えている少年、まあでもあのラストシーンは多幸感に溢れていて、良かったね!!ってなるけどな!こっちは無責任なただの観客なので、サミー少年が元気いっぱいなのは喜ばしい限りですが…。

っていうかあのラストよ!やっぱりオチをつけないと死ぬんかスピルバーグ!!!水平線の高さ(←マジのオチなのでいちおう反転)をひょいってずらして笑わせにくると同時に、「これは作り話だからね」って念を押してくる周到さ!!!その匙加減!!上手すぎるんよ!!くっそ…こいつ楽しそうだな……。

はい!!!いい加減、長くなったのでこの辺りでしめようと思います!!スピルバーグへこんなに思い入れがあったなんて自分でもびっくりだよ…うぅ。

感動作っぽい宣伝されてるけどぜんっぜん一筋縄ではいかない『フェイブルマンズ』、めちゃくちゃに面白いのでみんな観よう!!もう終わりそうだけどね!!!

では!!!

映画「バビロン」を見てやっぱチャゼルとは気が合わないなってなる

~はじめに~

ヘイズ・コード以前のハリウッド映画界を扱う『バビロン』に相応しいドタバタだな、って微笑ましいニュースからどうぞ↓(爆笑)(担当の方はご苦労さまです)

2023年2月10日(金)から上映しているドルビーシネマ2D字幕版の本編映像は、必要な修正ができておらず、「R18+」区分相当の内容となっていたことが判明致しました

そういやツイッターで「これがR15+?」ってびっくりしてた人がいたけど、ドルビーシネマで観たんかもしれんね。事故じゃん。

はい!!

話題作だし…と思って観ましたよ、『バビロン』!!!役者も豪華ならセットや衣装も豪華絢爛、とにかく画面の圧が強くて情報量が過大で、途中で脳が処理落ちしたらしく登場人物たちの人間関係が分からなくなったまま、怒涛の(賛否の分かれそうな)ラストになだれ込んだのでした…!!!どわーー!!!

これは比喩ではなくマジですが、午前中に『バビロン』を観たあと疲労のあまり半日寝込んでいました。いやまあ単純に”長い”ってのもあるでしょうけど…疲れた…。

ということで、楽しかったところの話と、チャゼルと気が合わねえって話をしますよ!映画史にも映画文化にも疎いので、解説とかではないです、ただの感想です!!!

まず楽しかったところ!ネタバレは無いよ!!!

とにかくサイレント映画の撮影現場のシーケンスは素晴らしかったですね!!屋外に設けられたMGM(Metro-Goldwyn-Mayer Studios Inc.)の入り口みたいなところからカメラが入っていって、だだっ広い荒野にいろんな映画のセットが林立して、その間を役者だかスタッフだかみたいな胡乱な人たちが怒鳴り合いながら走り回っていて…ていうあのシーン。サイレント映画は音を録らないからセットが密集してても大丈夫なのか、ていうのに気付いてまず驚いたし、めちゃくちゃな活気がすごいし、野外ゆえの抜けるような解放感も相まって、カタルシスがすごかった。あのシーンをつくっただけでも『バビロン』は価値があると思います。はい。

登場人物が口々に言ってた「セットで会おう」ていう台詞の煌めき、そりゃあんなところで働けるなら、それはもう魔法の言葉になるよね、て納得せざるを得ない。

あと、雨が少ないから西海岸で映画産業が勃興したっていうどっかで聞いた話を思い出したわね。すごい説得力だったよ。

そういう無秩序で雑多な撮影現場とも通じるんですけど、無国籍なコスモポリス的映画業界が素敵でしたね!!無法地帯なのは間違いないので油断すると死ぬな…って感じで、塵埃と泥濘の中で夢を見る間もなく散った人々もたくさんいたんだろうけど、でも出自を問わず何も持たない誰もが成り上がるチャンスのある、夢の場所としての魅力が眩く輝いていた。

チャゼルが、映画が内包する夢や欲望、活気そのものを愛していてそれを映画の中で再現してみたかったのは分かるよ、それはすごい伝わったよ。

けど、けどさあ、

その愛情表現はちょっと理解できないな!!っていうのがけっこうあってね…

以下、チャゼルと気が合わなかったところの話をするよ!!ネタバレもするから気を付けてね!!!!

チャゼル脚本(『ラ・ラ・ランド』と『セッション』ね)の人間関係、いまいち腑に落ちないことが多かったんだけど(なんでラストそうなる!?みたいな…)、今作もそうなってしまいましたね。うーん。

全体的に価値観が合わないんだよな…(自己実現のために友人や家族や恋人を手放すっていうの、古くない???しかも全員が)。

で、そのチャゼルのサビ的なストーリー、モデルとなった人物からの改変部分がチャゼルのアイディアだとしたら、それはちょっと自己模倣なのでは、と思わなくもない。あと敬意というか映画文化への良心的な執着みたいなものがあるのだとしたら、俳優二人の末路とレディ・フェイの性的指向の改変は、もっとモデルが曖昧な人物でやったほうが良かったと思う。これは自分の倫理的な規範意識の問題かもしれないけど、でもさあ…。

そういうの抜きにしても、レズビアンだかバイセクシャルだかを東洋人のミステリアスな女にやらせるっていうのがそもそもなんかテンプレ的だしさ!!レディ・フェイのモデルになった(んだよね?)アンナ・メイ・ウォンが性的指向に関する根拠のない噂に悩まされたらしいという話を踏まえると、チャゼルなんも考えてないんか??ってならん??実在の人物への誤解を強化する可能性にはもっと慎重になったほうがいいのでは??

あのパワフルな女性監督のモデルであるドロシー・アーズナーがレズビアンだったらしいので、例えばそっちに女性同士の恋愛エピソードを持ってきても良かったじゃん?なんでわざわざ東洋女にやらせて(女性とのキスシーンはマレーネ・ディートリヒのオマージュらしいし…)、史実のほうを無しにしたん?その脚色にオリジナリティが感じられないのよ。

サイレント映画の大スター二人が自死(のような最期)を選ぶラストも、いやなんで二人とも??ってなるじゃん。っていうか俳優だけじゃなく作り手であるマニーも含めて主人公全員が映画の現場から離れるせいで、「映画は終わった」っていう話になっちゃってるけど、チャゼルはそれで良かったんか?やりたかったことと合ってる??

「映画は永遠に続くもの」って言いたいなら、サイレントの時代が終わっても映画の仕事を続けたドロシー・アーズナーのエピソードにフォーカスするという手もあるじゃん?あるいは、トーキー時代の新しいスターを取り上げてもよい。なんでそうせずに、当人が望まない形で映画業界を離れた人たち(マニーが見出した黒人ミュージシャンもだね)の後日談だけを取り上げたの??

 

あとこれはたぶん人間関係が腑に落ちない話ともつながるんですけど、俳優の色気や美しさがぜんっぜん撮れてないと思うんですよ!いや俳優のオーラが映らないほうがいい映画というのはもちろんあって、チャゼルだと『ファースト・マン』は脚本やテーマと合ってて、それで上手くいってた。しかし『バビロン』でスターのオーラが映ってなかったら駄目でしょう!

例えばブラピだったら、映画の最初では(たとえ下着姿でプールに落ちても)輝くばかりに美しくカリスマ性があり、ラスト近くではそのオーラが無くなってないといけないし、マーゴット・ロビーの場合は最初はちょっと綺麗でヤンチャな女の子で、人気が出てからは誰もが振り返るような美と色気が必要なはず。だけどそうはなってない。ブラピもマーゴット・ロビーももっと美しく撮れよ…!!って観ながらずっと思っちゃったよ。

なので栄光と挫折っていうストーリーが台詞と状況だけで説明されてしまい、展開が腑に落ちないことになるんですよ。『ラ・ラ・ランド』もそうだったじゃん、エマ・ストーンの成功が一目で分かるように”大女優”のオーラが撮れてたら、そしてそれが”普通のアーティスト”であるライアン・ゴズリングと明らかに差があったりしたら、展開やラストにもっと納得できたかもしれん。

ところで最初のパーティのシーンでバズ・ラーマンの『華麗なるギャツビー』を思い出した方も多いと思いますが(知らんけど)、時代がほぼ同じというだけでなく”過剰なまでの俗っぽさ”という点で同じものを撮ろうとしているような気がしますが、バズ・ラーマンのほうが圧倒的に好みだな、って思いました!!バズ・ラーマン、人を狂わせるほど美しい男女を撮れるし。最新作の『エルヴィス』の色気も凄かったよねえ…(遠い目)。あ、オースティン・バトラー、アカデミー賞主演男優賞ノミネートおめでとうございます!

閑話休題

 

あとはまあ、ハリウッドの歴史というわりにちょっとズルい感じで第二次世界大戦あたりの話をきれいさっぱり飛ばしたよね…別にいいけど…。あのフラッシュバックみたいなところでも40年代の映画、確か無かったよね?まあ思想的な立場を語りたいわけでは無さそうなので、まあそういう感じね、ていう理解はしたけどさ。無邪気な映画ファンならともかく、チャゼルは作り手側なんだけどなあ、とは思いますね。

はい!ということで『バビロン』の感想でした!チャゼルへの悪口のほうが多くなっちまったな…すまん。

サイレント時代の撮影風景はとても楽しかったので、あれをメインにもうちょっとしっかり群像劇をやってくれればもっと好きだったのになあ!という感じですね、以上です!

では!!!!

 

2023/03/07 追記!ラストで引用された映画のリスト!

デイミアン・チャゼル監督『バビロン』エンディングで引用される映画史上重要な49の映像の全リスト|映画秘宝公式note|note

 

映画「終末の探偵」を観て由緒正しいハードボイルドを堪能する

みんなが観たかった北村有起哉ハッピーセットだよ~!!やったね!!!

ということで、「終末の探偵」を観ました!ポスターにもなっているメインビジュアル(北村有起哉がアップで煙草を吸ってるやつね)があまりにもかっこいいので、滅多に観ない邦画だけど観たわけですが、大正解でした!これは好きなやつだった!!!

本作の魅力は、なんと言ってもハードボイルドとしての由緒正しさでしょう!こんな真正面から、いま、ここを舞台にしたハードボイルド探偵ものが観れるとは思ってなかったのでちょっとびっくりしつつも嬉しかったです。もちろん今の時代に相応しい新鮮さもある!そこが良い!

ということで、以下、独断と偏見に基づくハードボイルド的見どころを列挙していきたいと思います。

ちなみに自分はVシネにはまったく疎いので、そちら方面の文脈はぜんっぜん理解できておりません…すみません。

致命的なネタバレはしてないつもりです!

<探偵のキャラクター造形とか>

  • 繁華街の雑居ビルに間借りしている探偵(という名の何でも屋)

ほらもうみんなが好きなやつじゃん!!(主語が大きい)昭和の昔から深海に隠れ棲んでたシーラカンスが浮上してきたみたいだ!!50年前に時が止まったんか??って言いたくなるようなキャラクター造形を衒いなくやってて偉いよ!ただし画面に映る以外の探偵の過去はほぼ謎なまま終わるのと、彼自身には”らしさ”への拘りが無さそうなところが、今っぽくて良いですよね。まあ男らしさとか、探偵らしさとか、そんなものに拘ってられないくらい生活がギリギリだという話なのかも知れないが。変な屈託が無くて、飄々として自由なところ、巻き込まれ型の探偵に必要な要素だけを凝縮した結果だよ、て感じがしてとっても良い。

 

  • とにかくお金が無い(借金ならある)

お金が無いのはあれですね、口は悪いけど義理堅くて人情家だからだね…だから面倒事に巻き込まれて愚痴る羽目になるんだけど、まあハードボイルド探偵ってそういうものだから(?)。自分の生命力だけを頼りに生きてる感じがね。

 

  • 喧嘩が強い、というより打たれ強いので負けない

喧嘩が強い(かどうかは微妙に評価が分かれそうではあるが)のも、社会のグレーゾーンで生きていくために必要で、かつ変に警戒されない程度のギリギリの強さ、みたいなのを見極めてる感じがするんだけど、それも場末の探偵っぽさがあっていいよね!そこに至るまでにはすげー色々あったんだろうなあ、という過去を感じさせるのも上手い。

 

  • 当然のようにヘビースモーカー、そして紫煙に紛れるおじさんの感傷

まあとにかく紫煙をくゆらす絵面が素晴らしいよね!煙草、煙たいから実生活ではちょっと離れててもらいたいが、場末の探偵なら当然ヘビースモーカーだよな!!!たくさんの言葉を呑み込んだ代わりに吐き出す煙、煙の向こうに隠れる真情…。この世界では、やっぱり(やっぱり?)インテリ系反社会的自営業の皆さんは電子タバコ派だったりするんでしょうか。

 

<脇を固める皆さん>

  • 反社会的組織の中間管理職おじさんとの腐れ縁

これはもうね、ハードボイルド探偵の必要条件だからね!次の試験に出るよ!(出ないよ)それはともかく、冒頭のエピソードから主人公との関係をさらっと説明する手際にほれぼれしたが、松角洋平の演じる若頭(?)、ガタイが良くてフィジカル強そうなのに経営者のスマートさを身に纏ってイケちらかしていた。やっぱり、見た目がよれよれの探偵の横にはこういうオジサンがいて欲しいよね!互いの事情を呑み込んだ短くて素っ気ない会話、生まれ育った街への愛着を率直に語る寂しげな横顔、見たいものを見せてくれてありがとう!という気持ちだよ。

あと引き連れてる番犬(比喩表現)二人もいい味だよね…若頭との個性の違いが互いの魅力を引き立て合っていた。キャスティングとスタイリングが最高。サンキュ!

 

  • 街を牛耳る新興勢力の頭(かしら)

親友が若頭なら、敵対するキャラクターも当然おるよね…出で立ちも言動も、すべて素晴らしい造形でしたよ。テンプレ感を上手く利用して人物造形についての説明を適当に省いていて、話がテキパキ進むのが観てて気持ちいい。主人公の造形もそうなんだけど、”見ればだいたい分かる”ことについては言葉を費やさずに、場面がどんどん展開していくのが映画全体にドライブ感を与えてて、作り方が上手いなあと思いました。

もちろんこの頭(かしら)を演じた古山憲太郎の、荒っぽいけど繊細な佇まいがあってこその説得力だと思います。映画全体のトーンにも通じるところがある。

 

  • 厄介な依頼を持ち込む訳アリ美女
  • 面倒見の良い町内会のご老人

この二人もさあ、記号的にはもちろんハードボイルド探偵ものに必要な登場人物なんだけど、そういうキャラクターである必然性、いまの日本の都会にそういう人たちがいる理由が、きっちり説明されてて、裏稼業の皆さんの”見たら分かる”テンプレ感との対比というか、まさに今、観客と同じ世界にいる現実の人間だと分からせるそのさじ加減が上手い。

前項の新興勢力の皆さんと併せて、彼らは、この街を構成しているのは誰なのか?ということをその存在自体で語る人々でもある。ずっとその街で暮らし、そこでしか生きていけない人々にフォーカスすることで、街そのものを描いていまの日本の一側面を(ハードボイルドというジャンルの道具立てを用いて)描きたい、という製作陣の心意気に胸打たれますね。

 

<ストーリーとか背景とか>

  • 渋々引き受けた依頼からの巻き込まれ展開
  • 社会的弱者への優しい視線とささやかな連帯
  • 失われゆくものたちへのドライな哀惜

いやもう、こんなのみんな好きじゃろ!?(二回目)チャンドラーから連綿と続く(たぶん)、乾いた感傷と他者への寛容。探偵自身は触媒となって、人々に変化をもたらしつつ絡まり合った因果をほどいていくような物語。

あと、ハードボイルド探偵ものって、ちょっとした群像劇みたいに、街そのものが主役というか主題になってたりするのがいいよね。

本作の本当の主役は、たぶん舞台となった街そのものですよね。様々な立場の人々が「この街も変わったなあ」とため息交じりに呟くような街。探偵を筆頭に古い住人たちは、人間的な尺度を超えて世の中は変わり続けるから、取り残されてもまたどこかで居場所を見つけて生きていくだけ…と思ってるみたいな、オジサンたちの分別ある諦念も味わい深くて、実にハードボイルドですね。

そしてその諦念は、その街の新しい住人である若者たち、そこに流れ着いた人たちを拒絶しない意思の表明でもある。変わりゆく街が彼らを受け入れるなら、それも必然として引き受けるんですね。まあもちろん殴られたら殴り返すし、非寛容には非寛容を以て対峙するわけですが。

若者たちが、ちょっとした出会いによる小さな希望を見出していたのも良かったですね。疲れ切ったオジサンたちには持ち得ない甘さと楽観が、陽光に照らされてきらきらと輝いていた。探偵自身はそこに入らない(入れない)、そういう距離感が紛う方なきハードボイルドなんですよ、たぶんね。

最後に語られる現実のシビアさに対して希望があまりにもささやかだけど、ラストの雰囲気が殺伐となり過ぎないのは、北村有起哉がちょうどいいさじ加減で見せてくれる愛嬌とか人間性のおかげかなあと思います。そういうところでも北村有起哉の良さをしっかり味わえるよ!ありがとう!

 

<その他>

  • 各キャラの個性を雄弁に語るアクション

アクションにはまったく詳しくないですが、それでも色々と工夫があって面白いなあと思いながら観ました。主人公が単身殴り込みに行く場面で、あまりにもヨレヨレしているのに打たれ強くてちゃんと止めを刺すところ、感心しながら笑ってしまった。分かるよ、裏家業で生き延びようと思ったらそういう仕上げの丁寧さが大事だよね、知らんけど。長回しで割としっかり所作を見せてくれるのも(演じる方は大変だったと思うけど)、丁寧でいいシーンだなあ~と思いました。

で、新旧のヘッドによるタイマン勝負ね。二人とも全力で正面衝突してるのがエモーショナルでしたね!いけてるスーツとかがボロボロになればなるほど、ふたりがますますカッコよく見えるという、なんかすごい喧嘩シーンだった。後味も果てしなく爽やかで、それはズルいんよ~(褒めてる)。二人はあれでしょ、出会う場所が違ったら親友になってたかもしれないやつでしょ、知ってるんだ俺は。

 

  • 若手とベテランのやり取りに生じるエモいアトモスフィア

ベテラン俳優の皆さんが、「100年前からこの街に住んでますけど?」みたいな佇まいで画面に収まっていて、その間でフレッシュで個性的な佇まいの若手俳優たちが全然ちがうロジックで世界を見てるみたいな生き方をしてて、知ってるけど知らない同士がちょっと探り合ってるような感じも面白かったし、それは映画のテーマそのものと通じるところでもあるし、実際の撮影現場の雰囲気を反映してるのかもしれないし、なんか良かったですよねえ。たまたま同じ世界に生きる者同士、仲良くするわけじゃないけど上手くやっていこうぜ、っていう感じね。監督や役者そのほか製作陣の、世の中に対するスタンスや生活実感が、こういう良い感じの雰囲気をつくったんだろうな、と感じられてそれも良かったです。

はい!ということで由緒正しくハードボイルドな「終末の探偵」、北村有起哉が気になる方も、ジャンル映画やジャンル小説を愛してやまない方も、フレッシュな若手俳優をチェックしたい方も、これからの邦画を担うであろう監督を応援したい方も、みんな観たらいいんじゃないかな!!いい映画だと思うよ!!

では!!!

2022年、映画館で観た新作映画の年間ベストを考える!

はい!!仕事も納まったことだし年間ベストを考えたので発表しまーす!!!

今年は映画館で135本くらい観たんですけど、リバイバル上映で昔の作品を観る機会も多かったので、新作(本邦初公開)は120本くらいでしたっ。いやーよく観た。それでも見逃したなあ、と思ってるやつあるし、相変わらず邦画はほとんど観てないしで、映画ってめっちゃたくさんやってるんですね(ぼんやり)。

まずはもはや今年の映画すぎて選考対象外とさせていただいた2本!日和見でごめん!

 ◆トップガン:マーヴェリック
 ◆RRR

もうせつめいとかかんそうとかいいじゃろ…まあ上期ベストの記事とインド映画の記事で言及したので…。

なんというか、あらゆる人々の感想やら解説やらスタッフ&キャストのインタビューやらを読んだおかげで、自分の感想を失くしてしまったんだよな。もう初見の情動が思い出せないのさ。ファンダムが活発なおかげで様々なトリビアを知ることができたのは楽しかったですけどね。もちろん両方とも、今年を背負うに足る傑作だというご意見には全面的に賛成だよ!すごかったよな!

言い訳おわり!

ということでようやくベスト10(順位なし)です!観た順!

 ★スパイダーマン:ノー・ウェイ・ホーム
 ★パワー・オブ・ザ・ドッグ
 ★Tick, tick... BOOM! : チック、チック…ブーン!  
 ★SING/シングネクストステージ(字幕)
 ★ゴヤの名画と優しい泥棒
 ★白い牛のバラッド
 ★ハッチングー孵化ー
 ★ボイリングポイント/沸騰
 ★スワンソング
 ★PIG/ピッグ

 

フィクションの物語がもたらすカタルシスが大好きなので、そういう映画ばっかりになってしまいますね!ラストシーンに辿り着いたときに思わず「ぬおぉ…」と(驚嘆、安堵、畏怖の)声が出てしまうような圧巻のストーリーテリング!人間の心の動きの不思議さ、恐ろしさ、美しさ、運命の巡り合わせの不思議さ、生命の強さや煌めき、そういう普遍的な価値を持ち得るものたちが、完成度の高いエンタメとして構成されていると本当に心動かされてしまう。あと基本的にはハッピーエンドのほうに惹かれるので、最後にはっきりと希望を示してくれる作劇が好きです。楽天的すぎるかもしれないけどさ、フィクションを通じて現実の希望の萌芽を見逃さない訓練をしている、とも思っているんですよね、何となく。ハッピーエンドには無限のバリエーションがあるはずなので、君の考えるハッピーエンドをみせてくれよな、って思いながら観ています。

まあこういうのって出会うタイミングもありますよね。鑑賞当時の自分にクリティカルヒットした作品たち、ということで、自分で振り返っても興味深いですね。

ここで選んだどの作品も、観終わったときの高揚感をいまでもありありと思い出せる。そういう映画たちに出会えて幸運だった、ありがとう世界。

 

次点!こちらも観た順だよ!

 ◎皮膚を売った男
 ◎TITANE/チタン
 ◎ザ・ロストシティ
 ◎エルヴィス
 ◎ブラック・フォン
 ◎モガディシュ 脱出までの14日間
 ◎神々の山嶺
 ◎アプローズ,アプローズ! 囚人たちの大舞台
 ◎炎のデス・ポリス
 ◎スーパー30 アーナンド先生の教室

 

いや~これらも面白かったですね~。志の高いエンタメって最高だよな!!

雑感など!

今月は色々と書き散らかしたのでもうあんまり書くことないですけどとか言いつつ書きますけど。なんか”有害な男らしさ(Toxic masculinity)”をどうやって無毒化するか?みたいな問題意識を扱った映画が目立っていた気がしますね。無毒化する手段のバリエーションとして、①癒して解放する②直接対決して殲滅する③なんか使い道を考える、の3パターンくらいあったかな、と思います。

①癒しパターンはさらに2種類に分類できて、男同士の絆に託すのが「ライダーズ・オブ・ジャスティス」「バッドガイズ」、ちょっと荒療治なのが「TITANE/チタン」「PIG/ピッグ」とかかなあって。

で、②殲滅パターンが「355」「ガンパウダー・ミルクシェイク」「MEN 同じ顔の男たち」あたりでしょうか。

そして③なんか有用な使い道を模索してた(?)のが「ザ・ロストシティ」「アイム・ユア・マン 恋人はアンドロイド」とか(メインのテーマではないよ、念のため)。まあ奇跡的な諸条件が揃う必要があるので、ハードルは高そうです。一回死んで生まれ変わるくらいのアレ。

ということでToxic masculinityの無害化については、どう考えても男たち自身で暖かい関係を築いて癒し支え合うのがいちばん確実で平和なので(この作品ラインナップで一目瞭然だよ)、現実世界の皆さんにも頑張っていただきたいですね。グズグズしてると血を見るぞ(殲滅ルート)。

 

あと、この2、3年の間に撮影や公開が延期されていた大作が立て続けに劇場公開されましたね。今年でほぼ出揃ったんじゃないかな。あと、配信限定になるかどうかの判断がけっこうギリギリになるのも今年に顕著になった傾向っぽいかなと思いました。まあサブスクに入ってない自分にはよく分からんが…。利益を出すという観点で、配信を重視する判断は分からなくもないけど、作り手の側はどう思ってるんだろうねえ。まあお金が無くなって映画がつくれなくなったら本末転倒だけどさ。

感想を書いた記事へのリンクだよ!まとまりが無いね!

■「スパイダーマン:ノー・ウェイ・ホーム」「パワー・オブ・ザ・ドッグ」「Tick, tick... BOOM! : チック、チック…ブーン!」「SING/シングネクストステージ」「ゴヤの名画と優しい泥棒」「白い牛のバラッド」「ハッチングー孵化ー」「皮膚を売った男」「TANE/チタン」→
 2022年上半期に観た新作映画について振り返る - 窓を開ける

■「RRR」「スーパー30 アーナンド先生の教室」→
 2022年、映画館で鑑賞したインド映画を振り返る - 窓を開ける

■「Tick, tick... BOOM! : チック、チック…ブーン!」「SING/シングネクストステージ」「ゴヤの名画と優しい泥棒」「炎のデス・ポリス」→
 2022年、新作映画この邦題が良かったで賞 ※独断と偏見に基づく - 窓を開ける

■「スパイダーマン:ノー・ウェイ・ホーム」→
 2022年、映画館で観たアメコミヒーロー映画の思い出話をする - 窓を開ける

■個別の感想記事があるやつのリンク

 パワー・オブ・ザ・ドッグ
 Tick, tick... BOOM! : チック、チック…ブーン!  
 SING/シング:ネクストステージ(字幕)
 白い牛のバラッド
 ハッチングー孵化ー
 PIG/ピッグ
 TITANE/チタン
 ブラック・フォン
 炎のデス・ポリス

 

あとは海外アニメの感想も書きたいな~という気持ちがあります!

はい!ということで今年の映画ベスト10(+10)でした!さすがにちょっと観すぎだと思う、生活が死ぬ。で、もともとの趣味が読書なんですけど、本を読む量はあんまり変わりませんでした。代わりにマンガを読む量が明らかに激減しましたね。なるほどなるほど。話題作の全話無料公開とかだいたい乗っかってましたけど、ここ2年はほぼスルーですからね。自分のことながら発見があるな。

いや~映画って本当にいいものですね!来年も良い映画に巡り合えるといいなあ~!

では!良いお年を!!!!

おまけ

映画館で観た映画リスト!リバイバル上映の旧作も込み。

 

2022年、クリスマスシーズンにクリスマス映画が充実していた話

クリスマス過ぎたけど…書きかけたのでやりますよ、クリスマス映画の話。

12月に入ってから観た映画で、例年になくクリスマス映画がたくさんあったのでまとめてメモっておきたくなりました。で、今さら気付いたんですけど、ぜんぶ英国が舞台だったね。伝統を見せつけられた感があるわ。

観た順だよ!ネタバレはしないつもりだよ!

「サイレント・ナイト」

人類最後のクリスマス!という一言がすべてを表しているSFブラックコメディだった。もう少し脚本を練ってくれても良かったけど、気付けてないネタがあるような気もする。

大人たちが現実から目を逸らしながらいつものクリスマス以上のバカ騒ぎをしている横で、それに追従すべきか迷っている子供たち、というスタンダードな設定ながら、大人たちのバカさ加減の描写が秀逸で面白かったです。妙に見栄っ張りなところがイギリスっぽい(偏見)…とか。あとさすがにキーラ・ナイトレイは芸達者だし、心優しくチャーミングだが微妙に責任感の薄いマシュー・グードもナイスキャスティングであった。マシュー・グードは「ゴヤの名画と優しい泥棒」でも印象的な役を演じていたね。

で、後半から物語の中心に躍り出る少年、どっかで観たことあるな??と思っていたら、「ジョジョ・ラビット」で肝の座った名演技を見せていたローマン・グリフィン・デイビスくんであった。さすがやで。ご家族そろって映画一家だし、本作に出ていた双子の弟、本当の弟だった。おお…みんなでイギリスの映像エンタメ界を牽引してくれよな…。

そういえば、作中でやたら色んな名作映画への言及があって、楽しかったけどなんで??ってなりました。クリスマス映画にはそういう伝統があるのだろうか…(知らん)。

本作のオチは、バッドエンドかハッピーエンドかで意見が分かれそうな気がしますね。自分はハッピーエンド派です。メリー・クリスマ~ス!!!

 

「グリーン・ナイト」

クリスマスで親戚の集まりに出てきた惰眠を貪る放蕩息子は、試練の旅から無事に帰還できるのか?うーん無理かも!

中世が剣と魔法と血族の世界だというのは、日本も英国も同じなんだねえ、と思いながら観ました。いまいち近代人の理屈に合わない感じで起承転結が進むところとか、教訓話のはずなのに特に教訓が見出せないところとか、日本の中世の説話集っぽい。

自分は後から元ネタの粗筋を知った派なのですが、本作ではかなり大胆に翻案していて、それでも物語の骨格が揺るがないところもそれっぽい(高畑勲の「かぐや姫の物語」みたいな)。

重厚に作り込まれた画面と、フレッシュな魅力を放つデブ・パテルやアリシア・ビカンダーのバランスが良くてひたすら眼福でしたね。ドレスとか宝飾品の数々、隅々まで素敵だった…。

たくさんのメタファーというか、伝統的なモチーフが詰め込まれていて分かる人が観ればものすごい情報量なんだろうな、というのは感じつつ、教養が足りないのでそのへんはさっぱりなのであった。あ、でもキツネを信用しても大丈夫かどうかくらいは分かるよ、どれだけモフモフで可愛くてもキツネだからね!

最後がどうなるのかぜんぜん読めない(なんせ説話集だから)のですが、ラストの仕掛けが凝ってて、ちゃんとカタルシスがあって面白かったです。ガウェイン卿に栄光あれ!ハッピー・ニューイヤ~!!!

 

「スペンサー ダイアナの決意」

年末年始に親戚の集まりに顔を出すのが億劫な皆さん、それのもっとヤバいやつだよ!自分はまだマシかもね!(そんなことはありません、ひとにはひとの地獄だよ)という映画。え?…ガウェイン卿はその億劫さをバネに試練の旅へ出かけたけど(前項「グリーン・ナイト」)凡人はなかなかそういう訳にもいかないよねえ。

欧米ではクリスマスおよび新年というのはとにかくすごい大事な行事で同調圧力がヤバい、というのは耳にする話ですが、その総本山ともいうべき英国王室のクリスマス休暇ともなればそりゃ想像を絶するでしょうねえ…というのを垣間見ることのできる映画でしたね!

タイトルが”スペンサー”なのは、主人公のダイアナが、本作で描かれる休暇のあとに離婚して、スペンサー家の一員として生きることになるからなんですね。なるほどね。日本語サブタイトル、頑張ったね。

いくら名門貴族の出身といえども、王室が要求する全人格的な献身というのは耐えがたいものなんだな、としみじみしました。庶民からはどっちも雲上人に見えるけどさ。過去の積み重ねで出来た伝統の重み(というかそれを維持するための非人間性)に潰されそうになりつつ、過去に生きた人間との絆が生還のきっかけになるという構成が良かったです。どこまでが創作なのか分かんないけど…ドキュメンタリーのほうも観ればよかった。とりあえず、ナイス・ホリデ~イ!

 

ひつじのショーン スペシャル クリスマスがやってきた!」

なんならこの2~3か月でいちばん待ち遠しかった映画だよ!(そんなに??)

しかしクリスマスともなると、あの牧場主さんでさえ家族が出てくるのビビるよな。いやいいんだけどさ…いや確かにテレビシリーズでも出てきたことあったな…ふーん…みたいな。

クリスマスがテーマの新作は30分とコンパクトな中編ですが、新しめの話題と伝統的なクリスマスイベントと大量の名作映画オマージュを詰め込んだ、見どころたくさんの佳品でしたよ!「スノーマン」「ホーム・アローン」「バック・トゥ・ザ・フューチャーPARTⅡ」は分かったけど、他にもありそうだよね。本シリーズが映画パロディをあの手この手で盛り込むの、やっぱり子供たちにとっての”初めての映画”になり得る存在として、映画文化への案内役になろうという自負があるのかな、と思いますね。

気になるのは、犬のビッツァーがスキーで木に激突しなかったところと、人間の家族の家が和風趣味だったのは、なにか元ネタがあるんだろうか?ということです。マジであれは何だったのだ…???

テレビシリーズから冬の短編3本も併映されてたんですけど、大画面で観ると人形やセットの質感が堪能できてとても良かったです。拡大すればするだけ情報量が増えて新しい楽しみ方ができるの、”実写”の強みだよねえ。NHKで再放送してくれないかなあ!

ところでクリスマスパーティの定番!みたいな感じで色んな作品に登場するジェスチャーゲームなんですけど、本当にやたら見かけたので、そんなにメジャーなん???と思って調べてみたら、どうやら英国王室のクリスマスの伝統のひとつらしいわね…(ロイヤルクリスマス | Central London | Rose of York Language School)。なんでも、エリザベス二世がまだ王女だった1941~44年に、第二次世界大戦に出征した兵士のためのチャリティーイベントとして演劇を上映したのがルーツらしい。なんか日本語のまともなソースが見当たらないんだけど、たぶんホントっぽい。

ということは、戦後にメジャーになった慣習だな?どおりでアガサ・クリスティー作品とかで読んだ記憶が無いわけだよ(あったらごめん)。

はい、ということでクリスマスシーズンに観たクリスマス映画の話でした!おススメは「ひつじのショーン」です!!

仕事が納まらないのにクリスマス気分を引きずっている場合ではありませんのでこのへんで!!(いま「ポーラー・エクスプレス」を観ながらこれを書いています、クリスマス気分を終わらせる気が無いんか??)

では~~!!!

2022年、映画館で観たアメコミヒーロー映画の思い出話をする

なんかワーナーの迷走?が著しい昨今ですが、ビッグバジェット系ヒーロー映画ファンの皆様はいかがお過ごしでしょうか…。そういや「ザ・フラッシュ」、観に行く?どうする???

MCUのほうも、VFXチームから過重労働の内部告発があったり(そりゃあんだけ作ってりゃあな…ていう)、なんかこう、ちゃんとしてくれよ、という気持ちになる話題が目に付く一年でしたね。

ということで、映画館で観たアメコミヒーロー映画の思い出話を書いておきます、なんかそれぞれのクオリティは高いのに、一本の映画として評価されにくいのはもったいないような気もする。あ、だからDC”エクステンデッド”ユニバースとか言い出したんか?

ちなみにDisney+には加入していません。……いや観るヒマ無いんよ、アマプラでさえ出たり入ったりを繰り返しているというのに。だからちゃんとした考察とか解説は、有識者の皆様にお任せいたします。本当にただの思い出話をします。原作コミックスも読んでないしね…。

ネタバレするかも…ごめん…

まずMCUの4本。

スパイダーマン:ノー・ウェイ・ホーム」

上期のまとめにも書いたけど、これは初日に駆けつけて良かったな、と思った1本です。あと21世紀の全スパイダーマンを復習しといてマジで正解だった。にわかではありますが、とっても楽しかったです。いつも閑散としている行きつけの映画館も、初日のレイトショーは珍しくすごい熱気だった。ていうかストレンジ先生の能力は使い勝手が良すぎる、これでヒーローの引退も復帰も自由自在じゃん。そんなことないです?

 

ドクター・ストレンジ/マルチバース・オブ・マッドネス」

なんかジュブナイルホラー風味で楽しかったです!序盤に出てくる巨大クリーチャーの目玉がでろん、ってなるとことか、ワンダが追いかけてくるところとか、ホラー映画のクラシックスタイルでとっても良かった。あとゾンビ。あのくらいのホラー演出で満足じゃよワシ…。それからみんな大好きあの音符バトルね。戦ってる二人が真剣だから笑っていいところかどうかすげー迷った(笑ったけど)。あれを映像化したクリエイターの皆さんはすごいよ。ところでストレンジ先生は、若者たちとワイワイやってるときが一番いいよね、中の人の真面目さとか育ちの良さ(知らんけど)が滲み出ている。学校に必ず一人はいる、気難しいのにやたら慕われてる専門科目の先生みたい。

しかし年初に「パワー・オブ・ザ・ドッグ」でベネディクト・カンバーバッチの良さに目覚めた(遅)自分にとっては、様々なストレンジ先生をしっかり堪能できたのも大変に良かった。ほぼ予備知識ゼロで挑んだので(なんせ原作未履修だからね)、ストレンジ先生が大暴れ(比喩表現)するたびに手を叩く勢いで喜んでいた。最高だった。

この時期に現代物理学のマルチバースに関する入門書などを読んでみたりしたんだけど、「ノー・ウェイ・ホーム」はレベル1マルチバースで、本作のマルチバースはレベル4かな…??(適当だよ!!)

 

「ソー:ラブ&サンダー」

元々そんなに思い入れの無いシリーズだったので、なんかノリきれないまま終わった…うーん。クリスチャン・ベールの怪演はド迫力だったが無駄遣いスレスレなのでは、とか。というか、話が強引なところをクリスチャン・ベールの力業で納得させられた感じだったけど、このヴィランの背景はもう少し丁寧に扱うべきでは、と思ってしまった。ギャグと世界観の食い合わせが悪いのか??同じタイカ・ワイティティの「ジョジョ・ラビット」は割と好きなんだけど…。あ、ヤギはずるいよ、ヤギ。

↓↓↓↓ネタバレ↓↓↓↓

まあとにかくジェーン周りの展開がキツくて、いやーちょっと…。原作準拠にしてももうちょっとこう、やりようがあるのでは…てなりました。このあとヴァルハラでなんかあるんか…??(無知)

 

ブラックパンサー/ワカンダ・フォーエバー」

ものすごい重圧の下で製作されたであろう本作、よくぞここまで仕上げたな、と素直に感心しました。1作目から、アフリカ文化を取り入れた斬新なビジュアル表現が大変に素晴らしかったですが、本作はメソアメリカ文明まで拡張してなお美しく、新しく、本当に隅々まで眼福でした。あとヴィランのキャラ設定も、MCUシリーズ中では新鮮で良かったです。そんで煌めく装飾品を見事に着こなすセクシー&ホットガイだったな…地球出身キャラでは最長老クラスのはずだが…。ヴィラン側のメインキャラには南米ルーツの俳優を起用していて、そういう”ちゃんとしようとする”のをこういう大作でやってくれたのも良いですよね。観客だって安心して消費したい気持ちはあるわけでさ。

もちろん大作エンタメであるからには、単なるこころざしの高さというよりは商業上の要請があってこそのチャレンジだと思うけど、それが見事に成功して、フレッシュなクリエイター(俳優含む)が飛躍していくのを見届けるのは、新作映画を追いかける楽しみのひとつでもあるよね。

↓↓↓↓ネタバレ↓↓↓↓

しかしエンドクレジット後のあのラストはいただけない。原作の方ではワカンダは共和制に移行しているらしいので、映画も次くらいでそうなって欲しいけど。現実の権力と超人的な力の両方を持つのは、稀代の俳優、チャドウィック・ボーズマンの技量でなんとかバランスできていただけで、その路線を他の誰かが背負う必要ないでしょ、と最後の最後でちょっと醒めてしまった。そこまでが良かっただけにね。

そのあたり、意外にも(?)「ブラックアダム」があっさり解消していたのが面白かったです。

DCとかその他(その他?)…。

「モービウス」

その他って書いちゃったけど、結局モービウスはMCUに合流するのだろうか…何も分からない。まあそれ言ったら匂わせがすごい「ヴェノム」もだけど。「モービウス」、予告にあった映像が本編に無いことで一部で話題に(?)なってましたね。ユニバース化の方針が定まらないからこんなことに…なにしてんの。

映画のほうは、友情と執着を拗らせた親友同士が大変なことになっていて、あらあら、と思いながら観ました。病院のホラーっぽい演出が面白かったよね。脚本が散らかっているのはまあその通り…なんか嫌な感じの経緯が無ければいいんだけど(後からプロデューサーの編集権の濫用とかで内部告発があったりするじゃん)。…いや何もなくてあのストーリーだったら、それはそれでクオリティコントロールを何とかしろ、って感じですけどね。

ジャレッド・レトは割と気に入ってる俳優なんですけど、憑依タイプなのでこういう役だとマジでハラハラする。あと、シリーズ化するとしてマット・スミスが本作だけで退場するのはもったいないのでは、と思いますけど、なんかしれっとキャストを一新してリブートとかやりそう。

 

ザ・バットマン

いや長いよね!?と鑑賞当時はビビったが、その後180分越えの作品が立て続けに公開されたので、今となっては、まあ長いかな…くらいのテンションです、はい(何の話??)。

まあ一作目なので仕方ないかもしれないが、ブルース・ウェイン自体の覚醒と、謎解きと両方やろうとするとちょっと大変だよね、と思いました。登場キャラも多かったしねえ、楽しかったけどさ。バットマンて割と根暗なイメージありましたけど、本作はそっち方面に突き抜けていたのが個人的には好きでしたね。あれで大富豪をやっていけるのかは謎ですが。あと、ゴッサムシティのビジュアルは好きな感じでした。

バットマンバットマンを辞めるときにようやくハッピーエンドを迎えると思うんだけど、本作のバットマンはどこに着地するんでしょうね。ぜひ最後まで完走して欲しいです。がんばれパティンソン。

 

「ブラックアダム」

予告編で盛大なネタバレをかましていることでお馴染み。いやー、あれは無いわ…(本編鑑賞後に観た)。頑張って予告を避けていた甲斐があったというものよ。観てしまった人は…かわいそう。日本版だけがあれなんだとしたら、本国のプロデューサーとかにバチバチに怒られて欲しい。

さてロック様の天然ヒーローも素敵でしたが(本質的には善良なのに思い込みの激しさと時差ぼけで面白い感じになっているのが中の人の魅力を引き立てていたよね)、いやあの…ケント御大とカーター兄貴のあれはいったい…??有識者の皆様も一様に困惑されていたようなので安心しました(してない)。スピンオフとか無いんですか?無い?あ、そう…。二人とも私服もめちゃお洒落だしさあ…中の人のイメージそのままだったな。めちゃくちゃ素敵な二人だったよね、変身後のコスチュームデザインも気合が入っていて、スタッフに愛されてる感じがしたよね。

あと、ジャウム・コレット=セラ監督、打率が高い!観客に愛されてる作品が多い!たぶんだけど、いろんな要素をいい感じにまとめる能力に秀でている。企画や脚本が粗くても何とか素敵な映画にしてくれる。業界人から信頼されてるタイプなのではなかろうか。知らんけど。

いや~アメコミヒーロー映画っていいものですよね!!!

なんか主役やヴィランを演じる俳優の皆様の重圧はいかばかりかとやや心配になることもありますが、ベテラン俳優の魅力を再発見したり、勢いのある若手俳優が実力とオーラを身に付けていくのを目の当たりにしたりすると、すごいなあ~ってなりますね。

あと、いろんなヒーロー像を力いっぱいプレゼンされて、世界が拡張していく感じも楽しい。もともとはアメリカのローカルなカルチャーであるアメコミヒーローが、お金のかかった映画で語り直されることで普遍性を得て、世界中で本当にたくさんの人を救ってるんだろうな、と思えてそのこと自体で救われる気がする。

だからあの、労働環境とかクリエイターの権利関係とか、そういう基本的なところはマジでちゃんとやってください、儲かるビジネスなのは分かるけど、素直に楽しませてくれ…!!!

ということで、アメコミ映画は来年もたくさん公開が予定されていますので、引き続き楽しみに、緩く追いかけて行こうと思います!

では~!!!